峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

無責任社会

2008年09月09日 | 学校教育
福田首相の辞任、大相撲の北の湖理事長の辞任、大分県の教員汚職事件に絡【から】む県教育委員会の措置【そち】などの報道に接し、責任のとり方、なかんずく目的に向かって教え導く立場にある者の責任のとり方についていやでも考えさせられている。

マスメディアに携わる人間の取材のやり方、報道の仕方に大いに疑問はあるが、それはさておき、執拗【しつよう】に迫る記者に向かい、露鵬の師匠の大嶽親方が、親方と弟子といえば親子同然、親が子供を信じるのは当然ではないかと見えを切っていた。北の湖理事長も、白露山を子供のように思ってきたと語っている。

ところが、大麻吸引歴を告白していたことが再発防止検討委員会から報告されたとたん北の湖理事長は辞意を表明したという。つまり、弟子の言うことより他の親方の言葉を信じたというわけだ。
誰の言葉を信じなくとも、わが子の言葉だけは信じるのが本来、親子というものではないだろうか。

また、力士2人は解雇【かいこ】という厳しい処分が下されたが、大嶽親方は委員から年寄への降格、北の湖理事長にいたっては理事に降格というだけで幕が引かれた。

一説によると、子供と共に釜茹【かまゆ】での刑に処された石川五右衛門は、煮えたぎる湯の中で自分が息絶えるまで子供を持ち上げていたという。もっとも、あまりの熱さに子供を下敷きにしたという説もあるのでなんとも言えないところでもある。
大分県の08年度教員採用試験で得点改ざんにより合格したとされる20人に採用取り消しや退職の辞令が交付された問題も同様だ。
不正に直接関わったものだけに処分が下されたが、大分県教委のその他の指導的立場にいた者の責任も極めて大きい。

いずれにしろ、首相が自分や党の都合だけで簡単にその職を投げ出す国なのだから、そこここの組織の長の責任を論じても始まらない。

これでは、後から来る若者に申し訳が立たないじゃないか。
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