峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

人と関わって生きる

2006年01月13日 | 暮らし
きょうは午前10時から正午まで佐々町公民館で開かれた毎年恒例の新春放談会と、夜7時から9時まで同じく公民館で開かれた青少年健全育成会の臨時専門委員会と2つの会合に出席しました。
新春放談会のテーマは「高齢者と社会参加」、健全育成会の方は「佐々の子供の安全を守るために」でした。字面【じづら】は異なりますが、共通している課題は、地域社会でいかにして良好な人間関係を築くことができるかということです。

私たちの国では、この数年間ずっと1年間に3万人もの人間が自ら命を絶っています。また、歪【ゆが】んで育てられた子供の成れの果てである哀れな人間が、子供や老人に刃【やいば】の先を向け始め久しくなりました。
さらに憂慮【ゆうりょ】すべきは、傷ついた子供たちが音を立てて自ら命を絶ち始めたことです。

これまでの常識や価値観や思想といったものが、もはや何の役にも立たなくなってしまったことを私たちは正しく認識すべきだと思います。いや、それどころか次第に私たち自身を追い込んでいる元凶にさえなっているということを思い知らなければなりません。

健全育成会の会合では、いつものように司会進行役の県派遣の社会教育主事さんによって議題はもちろん、話し合う中身についてまで細かくレジュメに記されていました。
このような会議を持つ以上、これまでの常識によれば、彼は何らかの形ある結論を出さなければならないし、具体的な方策を立てなければならないのです。
彼には申し訳なく思いましたが、話し合いの冒頭、先に記したようなことを骨子【こっし】に私たち大人の在り方を問い・語り合うことの必要性を述べました。

これまで、さまざまな会合で何度も繰り返し同じような問題提起をしてきました。しかし、出席者の多数の共感を呼び起こすことができませんでした。
ところが、今夜は違いました。大多数のみなさんに共感をいただき、それに沿った貴重な実践例やご意見を伺うことができました。
最後に、さとし君のお父さんがこの会での冒頭の私の問題提起を受けて、議題を決めたり結論を出すような会ではない会合を開いてはどうかと提案され、皆さんの賛意を得ました。
会が終わった後も、面識のなかった方にお声をかけていただいたり、さとし君のお父さんや育成会長と我が町内会でも「親父の会」を作ろうなどと話をしました。

人間が人間と関わって語り合うことの楽しさ、杯【さかずき】を酌【く】み交わすことの楽しさ、人間が人間と関わって遊ぶことの楽しさ・喜びを深められればと思います。

午後9時過ぎ帰宅し、教室に入りました。「先生、テレビに出とったですね」
実は、午前中の新春放談会、地元の有線テレビが入っていました。途中、休憩のときインタビューを受けたのが夕方に放送されたようです。
増本さん、ご覧になられました?お恥ずかしいかぎりです
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2 コメント

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新春のよきスタートを (.ぶな太)
2006-01-14 06:58:28
今日のブログは非常に今日的な、そしてみんなが共有している問題の提起で興味をもって読ませていただきました。新春放談会といっても真面目な内容をざっくばらんに話されたのだと想像します。

>人間が人間と関わって遊ぶことの楽しさ、喜びを深められなければと思います。

いま私たちは会社から離れると家庭という小さな城に閉じこもりがちですが、峰野さんが提起された問題は高齢者の社会参加、地域との関わりを深めるという点で、全く同感です。佐々町にとって新春のよきスタートになればいいですね。

地元のテレビを見られないのが残念でした!
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きっとできる (峰野裕二郎)
2006-01-15 01:30:05
お隣ご近所、町内会の方々といい関係を築いていくことは、とても大切だとみんなが思っていることでしょう。

誰もが、住んで気持ちのいい町内会にしたいと思っているはずです。

それなのに、どうしてそうはなっていないのでしょう。

そこに暮らす一人ひとりが心を開放して考え、そのための実践を重ねる価値のある問題だと私は考えています。
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