峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

やはり出会いと感謝

2008年07月11日 | 家族
20年もの間、慣れ親しんできた愛車デリカを手放すことにした。
デリカには最後の最後、動かなくなるまで乗ろうと思っていたが、新たな車との出会いがあった。お隣さんが新しい車を求められたことにより、それまで乗っておられたものを譲っていただいたのだ。

それが写真のセルシオである。この3月に車検を終えたばかりだ。デリカは、この10月に車検を受けなければならないところだった。
最近の自動車についての知識は全くない。「セルシオ」という名も初めて聞いた。どうやら高級車らしい。装備が半端でない。至れり尽くせりである。とはいうもの、走行距離13万kmを超える代物【しろもの】だ。デリカのそれを優に上回っている。しかし、それだからこそ私のような者にでも手に入れられる金額だった。
とにもかくにもご縁である。「隣人トラブル」が社会問題化している昨今、隣人から中古車を求めることに大いに意義を感じている。私らしくていいと自分で思った。

早速、女房どのが今度のことを娘たちにメールで知らせた。くるみさんから「デリカ、おつかれさまだね」とあった。
有紀さんとくるみさんが生まれる前から私たち家族と共にいたデリカであった。娘たちが幼かった頃を振り返れば、そこにデリカがいる。私たち家族の歩みと共にデリカがあった。私たちの家族の歴史そのものだ。

これからきれいに掃除して廃車届けに向かう。デリカ、おつかれさま。そして、ありがとう。ねっ、くるみさん。
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光の射すところへと

2008年07月10日 | 学校教育
「審議監に渡せば何とかなる」=贈賄の参事、常態化認める-大分教員採用試験汚職(時事通信) - goo ニュース

「教育者」「先生」と呼ばれている者たちの正体が白日【はくじつ】の下に見事にさらされている。

これで、非学校・反学校的なものにこそ希望の光を見出し得るということが明白となった。
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草千里を走る

2008年07月09日 | 民生児童委員
昨日・今日と1泊2日の佐々町民生・児童委員協議会の研修旅行に参加してきた。
午前7時45分に佐々町を出発。9時半東彼杵【ひがしそのぎ】町に到着、10時半まで東彼杵町民生・児童委員協議会の委員のみなさん、及び行政の福祉担当者と、主に「子育て支援・児童福祉」「高齢者・在宅介護福祉」「障害者支援」この3つの部会の活動について情報・意見交換を行った。

その後、東彼杵インターから長崎自動車道に乗り、やがて九州の交通の要所である鳥栖ジャンクションから大分自動車道に入り、日田インターで降りたのが正午頃、日田市内で昼食をとる。

昼食後、一村一品運動で有名になった大山町から、我が家の子供たちが幼かった頃、毎夏、阿蘇を訪れる際、立ち寄った小国町を通り、午後3時、阿蘇郡産山【うぶやま】村に到着。5時までのおよそ2時間、産山村高齢者活動支援センターという所の畳敷きの部屋で座布団に座り、産山村の民生・児童委員協議会会長から「子供ヘルパー事業」についてのお話を伺い、それについての質疑応答、その他意見交換を行ったが、文字通りひざを交えた有意義な座談だった。

産山村は阿蘇山久住【くじゅう】山との間に位置する美しい大自然に恵まれた地域である。しかし、世帯数500戸、人口1,700人、65歳以上の高齢者数が総人口の35%を超えるほどの高齢化が進み、独居世帯や家業の後継者がいない世帯が増えているという極めて今日的な問題を抱える地域でもある。
そんな中、社会福祉協議会が提案し、福祉関係者と学校とで検討を重ね、平成12年から始まっているのが「子供ヘルパー活動」という産山村独自の画期的な取り組みだ。
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女神か菩薩

2008年07月08日 | 夫婦
暑くなるにつれ、みぃーちゃんの帰宅がだんだんと遅くなってきた。
1ヶ月前頃までは塾生がやってくる夜の7時前後に塾生と一緒に玄関に入って来ていたのが、やがて9時頃、そして10時頃となり、梅雨が明け真夏日が続くようになった昨日は、とうとう午前様、きょうの明け方5時半頃に帰って来た。

いつも女房どのが、みぃーちゃんを迎える。しゃべれないから仕方がないが、帰ってくると玄関のドアをガタガタさせて知らせる。それがあたかもドアの取っ手を握りガタガタと動かしているような感じなのだ。どこの酔っ払いかっ!というような横柄【おうへい】な感じのドアのゆすり方なのである。
私のような人間ができていない者など、虫の居所が悪かったりすると思わずいらついたりしてしまうが、その点、女房どのは違う。何時いかなる時でも「お帰り、みぃーちゃん」とにこやかに出迎え、風呂場に連れて行き、全身をきれいに拭いてやっている。もう、女神か菩薩のレベルだ。逆立ちしても、絶対かなわない。

写真は、カニと戯【たわむ】れるみぃーちゃんです。春先は毎日のように小さなモグラをとっていました。

K-1ワールドマックスが相変わらずいい。
昨夜の放映も女房どのに録ってもらって深夜に見た。いずれの試合も見ごたえ十分だった。中でも佐藤選手対ブアカーオ選手戦、これまでブアカーオ選手に2度KO負けを喫していた佐藤選手だったが、この日は最終ラウンド、右ストレート1発であのブアカーオ選手をマットに沈めた。

試合後の佐藤選手のマイクパフォーマンスがまたよかった。
「幸せにしたい人がいるんです。恩返ししたい人がいるんです!」
次の試合、対魔娑斗選手戦、どんなパフォーマンスを見せてくれるのだろう。
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新しい風

2008年07月07日 | 町内会長
昨日の町民大清掃を振り返って思うことがあった。
当日のことについては、あらかじめ回覧でお知らせしている。清掃箇所についても、大まかだが明記している。ところが、昨年からのことだが、それ以外のある場所の除草を女性の、特にご高齢者のみなさん方が中心となって自主的に始められた。それが写真の集会所前の空き地だ。
この空き地は私有地だ。そのことは、もちろんみなさんご存知である。私有地だが、今や私たちの町内会の活動の拠点【きょてん】となっている。地主さんにお願いして町内会のさまざまな行事・活動に使わせていただいている。しかし、だからといってみなさんに私有地の清掃をお願いするわけにはいかない。時々暇を見つけ私が刈払機で草を刈らせていただいている。

それを、夏祭りやもちつきなどに使用させていただいているのを地主さんに感謝してか、私が日頃、草を刈っているのにつられなさったか、それは定かでないがみなさんが力を合わせ、私有地の除草をし、またそれを誰も咎【とが】めない。
当日、そんなことを考える余裕もなかったが、それに気付かないほど、ごく自然にみなさんが力を合わせておられた。

とかく、自分さえよければという今日の社会の風潮【ふうちょう】にあって、どっこい私たちの町内会はそれに染まってはいない。いや、私たちの意識が変化してきているのを感じる。

小倉から帰宅した翌日、祝電をいただいたお礼を述べるために役場に町長を訪ねた。
来客中のようだったが、わざわざ時間をとって応接していただいた。その席で「僕らの広場」が議会にかけられる環境が調ったことを知った。いよいよだ。
今朝、地主さんと電話で話した。地主さんを始め多くの方の善意と理解があって、私たちの町内会に揺るぎない拠点が生まれつつある。
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人は誰かのために生きる

2008年07月06日 | 町内会長
きょうは町内会清掃、加えて町民大清掃の日だった。
午前7時、定例の町内会清掃開始。いつものように有線放送で案内をかけ、町内会の各班を回った。ここをこうしてほしいとか、こんなことで困っているなどのお話を伺うことは、それだけでも大変重要なことなのだというのが分かってきた。今朝もみなさんに声をかけながら町内会を歩いた。

午前8時、みなさんに集会所前に集合していただいた。大清掃について副会長に説明をしてもらい、その後、みんなで一斉にとりかかった。
作業は2時間ほどをめどにしていたが、ご高齢者のみなさんには、適当なところで切り上げていただくようにお話した。このことを含め、今日の活動についていくつか意見を伺ったが、町内会の活動なんて、みんなが無理なく、楽しく、そして少しばかりなりと誰かの役に立っているんだという喜びが感じられるようなものでなければ、より多くの人の力を集められないだろうし、続きもしないと思う。

きょう、九州北部が梅雨明けしたらしいとの気象庁の発表があったが、とにかく蒸し暑かった。例年、学校の夏休みが始まってから梅雨明けしているが、今年はずいぶんと早い。

一昨年前から町民大清掃終了後、お茶やコーヒーなどの飲料を配るようにしたが、きょうは、途中で配ることにし、前もってスーパーにお願いして冷やしていただいている飲料150本を女房どのに早めに取りにいってもらい、作業半ばで休憩をとり、それを配った。それくらい暑かった。

後半、男性を中心に町内会につながる道路の側溝の泥上げと道路にかかる樹木の枝払いを行ったが、きりがない。副会長に10時半になったよと告げられのを潮に、この日の作業を終了することにした。

それにしても、きょうの町民大清掃、今年も町内会の大勢の人に参加していただき、力を合わせられたことが何よりだった。

後片付けをして帰宅したのは正午前、シャワーを浴び食卓に着こうとすると、女房どのが冷たいビールでもどうぞと言う。冷蔵庫を開けるといろんな銘柄のビールがそろっていた。その中から「琥珀エビス」を選び、ご馳走と共にいただいた。

食後、横になりテレビを見ながらうとうとしていたら、女房どのがマッサージをしてくれた。
筋肉のこりが解きほぐされていくのが何とも心地よい。身体を動かして働くことの尊さ、みんなで力を合わせることの喜び、誰かのために役立っているという実感、理解し、支えてくれる人がいてくれるという安心感、そんなものもない交ぜとなってうっとりとしていた。
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夫婦2人で

2008年07月05日 | 夫婦
午前中、女房どのと吉井の生産者直売所・ソレイユへ出かけた。有機・無農薬で育てておられる宮村さんの野菜を求めるためだ。女房どのが土曜・日曜に求める健康野菜を1週間かけてたっぷりいただく。私たちの健康の元だ。

ソレイユから帰宅後、お昼を佐世保の「暖家【だんけ】」で食べようと女房どのに誘われ、女房どのの車で出かけた。ワインをいただくためだ。
「暖家」は気軽にフレンチが楽しめるレストランで、もうずいぶん以前から家族で利用してきた。でも、たまにはこうして2人だけで外食を楽しむこともある。

2人だけ、といえば、この4月から新たに2人だけの生活が始まっているのだが、その実感はない。2人とも、それぞれの仕事にいそしむ毎日だ。
そんな中、2ヶ月ほど前、2人で散歩に出かけたことがあった。子供たちが幼い頃、よく散歩した。決まったコースがあった。しかし、その日は思い切って足を伸ばした。足を伸ばしたついでに女房どのに小浦の竜神様の祠【ほこら】を見せてやろうと案内した。そのおかげで海岸を通る散歩コースを発見できた。さすが、竜神様。霊験【れいげん】あらたかである。
ただし、その散歩も2回きりで、このところ滞【とどこお】っている。今は他の楽しみにしておきなさいという竜神様のお導【みちび】きなのかもしれない。
それにしても、我が町はいい町だとつくづく思う。何より、海・山・川と自然に恵まれているのがいい。

「暖家」の近くのビルの駐車場に車を止めようと2階へ上がったところで、用事を済ませ車に乗ろうとしている秀楽先生とばったり出会った。王位戦の佐世保での対局について電話しなければと思っていた矢先だった。これも竜神様のお導きか。
王位戦の前夜祭・大盤解説会・立会人等についてから、王位戦の展望、最近の県北の子供将棋事情等々まで立ち話した。
秀楽先生との話は味わい深いものとなる。会うと話が弾む。しかし、ここ数年はゆっくり話す機会が持てていない。あの頃のように、杯でも傾けながら、心ゆくまで将棋談義に耽【ふけ】りたいものだ。

食事の前に、女房どのの買い物があった。お祝いをいただいた職場のみなさんへのお返しの品物を求めるという。
女房どのの買い物はデパート・「玉屋」と相場が決まっている。「しあわせは、バラの包みをひらくとき」なのだ。

品定めにそこそこ時間を要したので女房どのに、疲れただろうと声をかけると、他者の買い物に付き合うのは疲れるけどとのお言葉、ごもっともである。疲れた。

ようやく昼食、女房どのの頼む魚介類のコースに私も合わせた。ワインにするつもりだったが気分でビールにした。
絵理子さんの結婚式・披露宴に関して、有紀さんとくるみさんについて、町内会のことから教育についてと話はとどまることなく続いた。

美味しい料理に舌鼓【したつづみ】を打ち、町内会に戻ってくると、公民館の玄関脇、交差点のコーナー、それにバス停に真っ赤なサルビアの花の植えられたプランターが置かれてあった。副会長が自主的にやってくれているのだ。嬉しくなる。ワクワクする。

明日は定例の町内会清掃に続き町民大清掃が行われる。その前にやっておきたいことがいくつかあった。
作業着に着替え、長靴をはき、刈払機を提げ町内会を回った。作業を始めると汗が噴出す。鼻水が出てくる。この暑さ加減は何だ。午後7時過ぎまで作業を続けたが、頭が朦朧となるほどだった。

明日は、やっぱり晴れそうだ。
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西町町内会副会長

2008年07月04日 | 町内会長
日曜日、国道沿いの花壇に夏の花の苗を植え付けることになっていたが、その前日は小倉泊まり。副会長の、娘の結婚式のときくらい、そんなこと気にしないでゆっくりしてきたらいいという言葉に甘え、佐々に帰ってきたのは日曜日の夕方4時を過ぎた頃だった。

家に荷物を降ろし、すぐに花壇に出向いてみるときれいに植えつけられてある。どうやらお天気は大丈夫だったようだ。今年、初めて植えたサルビアをカメラにおさめ帰宅する。と、間もなく副会長が顔を見せてくれた。「おめでとうございました」とお祝いに日本酒を提げてきてくれていた。
結婚式・披露宴のこと、花の苗の植え付けのこと、いつものようにひとしきり玄関先で話し込んだ。

副会長は、民間の会社に勤める現役のサラリーマンだが、町内会での活動を始め広く社会貢献に努めておられる。我が町内会においては、特に夏祭りやもちつきなど、彼がいないと始まらない行事は多い。

最近、その副会長に「ブログの更新ができてない」と叱咤激励【しったげきれい】されている。

写真は、副会長を始め町内会の有志の皆さんが植えつけられたサルビアの花です。
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娘の愛する人の父親と

2008年07月03日 | 父親と子
絵理子さんと研二くんの結婚披露宴当日、私たちは午後1時過ぎにアーフェリークに入った。
ややあって研二くんのご両親たちも到着されたが、研二くんのお父さんは私の顔を見るなり「お父さん、今夜、行きましょう!」と切り出してこられた。

研二くんのお父さんとお会いするのはこの日で4度目、これまで毎回グラスを傾けてきた。
研二くんのお父さんは良くも悪くも男っぽい人だ。愛すべき男である。祝宴の途中も「研二から許可をもらいましたから、行きましょう!」である。

披露宴がお開きとなり、みなさんをお送りし、それぞれの家族・親族がホテルへ向かおうとするころ、私は研二くんのお父さんに誘われるままタクシーに乗り込んだ。やはり本気なのだ。私が知る限り、彼はどんな相手にも決して社交辞令など言わない。

タクシーに乗ると、研二くんのお父さんは、若者たちのために用意されていた2次会会場の案内を運転手さんに渡し、そこへ行ってくれるよう告げた。本当に、若者たちの2次会に同席するつもりなのだ。

研二くんのお父さんも私も、小倉の夜の街を知らない。歓楽街を尋ね歩き、ようやく2次会会場に着いた。
「本日貸切」の案内が出ている店のドアを開くと、会場はすでに若者たちの熱気であふれていた。4~50人もいただろうか。披露宴に出席できなかった友人も来ているという。立錐【りっすい】の余地もない。

私たちは、入り口近くの幹事役の女性2人と同じテーブルに座り、会費1人6,000円を支払い、みんなの祝福を受ける遠くに座る絵理子さんと研二くんの嬉しそうな笑顔を眺めながら、注がれたビールを飲んでいた。

間もなく彼らと分かれた私たちは、もう1軒だけという研二くんのお父さんのお誘いに従い、目に入ったスナックにとびこんだ。
彼はビール、私は焼酎のロックを飲んだ。今さら改まって話すことなどない。62歳になるという店のマスターとママも加えて世間話をし、カラオケを歌い、愉快なひとときを過ごした。

翌朝、女房どのにホテルに戻ってきた時刻を尋ねると午前2時半頃だったそうだ。研二くんのお父さんは徹底している。

これから、彼と何度会う機会があるのだろう。それは分からないが、彼は会うたび、きっとこう言ってくれるにちがいない。
「お父さん、行きましょう!」
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出会いと感謝

2008年07月02日 | 家族
6月28日土曜日、絵理子さんと研二くんの結婚式とその披露宴が三谷様ご夫妻のご媒酌により北九州市小倉のアーフェリーク迎賓館で執り行われた。

この日、絵理子さんと研二君の結婚を祝福してくださるため、それぞれの職場の上司・同僚のみなさん、それに小学・中学・高校の同級生、また2人が出会った大学のサークルの先輩・友人のみなさんなど2人にとってとても大切な人たちが駆け付けてくださった。
それに加えて、それぞれの出身地である山口と長崎から祖母とおじ・おば、さらには兄弟姉妹たちも集ってくれた。

絵理子さんと研二くんは「出会いと感謝」をテーマに式・披露宴を演出してみなさんの祝福に応えた。
あの興奮と感動をどう表せばいいのだろう。

人前式、チャペルに入りきれないほどの多くのみなさんに見守られ、温かい祝福の拍手の中、バージンロードを絵理子さんと私は腕を組み歩いた。
やがて、私は絵理子さんの手をとり、待ち受ける研二くんの方へ送り出す。壇上に並んで立った2人は、三谷さんご夫妻が読み上げられた夫婦約束の3か条をみなさんの前で誓い、キャンドルをリレーしてみなさんとの出会いを感謝した。

ホールでの微笑ましいセレモニーが続いた後、みなさんと共に主会場へと移動したが、テーブルに着くや否や絵理子さんの職場の上司である田中さんにご挨拶をいただき恐縮した。

研二くんの職場の上司と田中さんが祝辞を述べてくださった。媒酌人の三谷さんからは2人の紹介をしていただく。
大きなスクリーンには2人のこれまでが映し出され、会場は喚声と笑い声に包まれる。2人が卒業を記念して世界遺産を巡る旅行に出かけていたのを始めて知った。もっとも、2人のことで知っていることなんてほとんどないのだし、それでいいのだ。

合間を縫い、みなさんに感謝の気持ちを伝えたくてテーブルを回った。絵理子さんがお世話になっているみなさんだけでなく、研二くんの職場のみなさんや友人のみなさんたちとも親しくお話をすることができた。
みなさんとお話をさせていただいて、絵理子さんがみなさんに愛され、信頼されているのだと分かった。

宴半ば、「何をするにも私の意志を尊重し、それを全力で応援してくれるお父さん。マイペースで頼りない私を、いつも陰でサポートしてくれるお母さん」と、私と女房どのに対する思いを読み上げるくだりで絵理子さんは、それまでのこぼれるような笑顔から一転、涙、涙、涙の顔に。隣の研二くんを見ると彼も肩をゆすらせ泣いている。可憐な2人の姿に、私も込み上げてくるものを禁じえなかった。後で聞いたら女房どのも泣いていたそうだ。

「私は、よく周りの人にいつも笑顔だねと言っていただくけれど、自然に笑顔を絶やさずにいられるのは、お父さん・お母さんがつくった家庭で育ったからだと思います」「私も、自分の子供がいつも笑顔でいられるような温かく、明るい家庭をつくります」絵理子さんは、そう続けた。
手紙を読み終えた絵理子さんを、私はそっと抱きしめた。

宴も終盤にさしかかったころ、プールサイドで風船を放つ段になり、不思議なことが起った。それまで絶え間なく降り続いていた小雨が、そのときだけピタリと止んだのだ。
みなで声をそろえカウントダウンし、風船を夜空に一斉に放った。色とりどりの風船は、参加者すべての者の善意と希望を乗せ空高く舞い上がっていった。

最後は2人がパティシエに扮してロビーでケーキを振る舞い、出会いの喜びと感謝にあふれた宴はお開きとなった。

興奮していて時間の感覚が麻痺していたが、みなさんを送り出したところでホテルのチェックインの時間が気になり、時計を見ると午後9時半過ぎだった。人前式が始まったのが午後3時半だったので6時間もの長い時間をみなさんと過ごしたことになる。

最後の最後まで三谷さんご夫妻が残ってくださっていた。三谷さんの奥様は、この日も、何度となく涙を流してくださっていた。私の顔をご覧になられるたび涙を流していらっしゃると女房どのが言った。
奥様が、いい子育てをなさりたいとおっしゃった。きっと、三谷家から素敵な若者が育つにちがいない。ご両親と接し、そう思った。

しばらくお話をさせていただいた後、お2人は小雨の中、帰途につかれた。プールサイドを肩を並べてお帰りになられるお2人をお見送りしながら、優しい人たちとの出会いを嬉しく感じていた。

特別な方から祝電をいただいた。将棋のタイトル保持者・深浦康市王位からのものだ。
過日、女房どのと出かけた折、あるところで深浦さんの奥様のお姉さんとばったりお会いすることがあった。女房どのがお姉さんと懇意【こんい】にさせていただいている。
その際、深浦さんが絵理子さんの結婚のことをご存知で、気にかけていただいているというお姉さんのお話があった。ありがたくお願いさせていただいていた。
深浦さん、ありがとうございました。

絵理子さんと研二くんは明日、パリに向けて新婚旅行に発つ。
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