起きると暖房を入れなくてはならないけれども、このまま寝床の中にいれば、電気代はかからない・・・などのケチなことを考えていました。今日は日曜日でミサをネット配信で聞かなくてはなりません。10時までにはパソコンの前にスタンバイしないと。
「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。・・・」
今日の福音は有名なイエスの山の上の説教です。理解したような気もしていましたが、どこかに違和感がありました。神父様が正直にご自身も初めて聞いたときから、神父としての勉強をしだしてからも「どうして、悲しむ人が幸せなのだろう」と思ったとお話しくださいました。「幸い」の意味が私たちの現実の生活の中とは違うのですというお話でした。
何回か物を持たないということを書いていますが、「幸せ感」というのは、物を持たないことで変わってくるような気がします。物があれば、目に見える力があるということで、幸せ感がある気がします。物を得ることができる力があるということでしょうか。衣食住に幸せがあります。
何を持って幸せと感じることができるかなのでしょうね。我が家の冷蔵庫は雪のせいもありますががらがらしています。財布の中は千円札が2枚くらいです。午後から、まず自分のしたいことをしていることが幸せなのだというTV番組をみました。久しぶりに着物を着て、頂いていた鰻をいただいて、たれが余ったのでたれでご飯を少し頂きました。笑い。悲壮感はありません。
私に残ってものは、気障に言えば「ひとをあいしたこと」だけです。