フェイスブックにかわいい柴犬が2匹、橋桁に前足をかけて「僕たち連休でもどこへも行けないね」と言っている写真がUPされていた。本当にそうだね、私も旅行客に遠慮しながら仕事に出かけた。1年前のぶろぐには「足るを知る」というタイトルで、物事を待てるようになったことが書いてあった。同じような思いを今も味わっている。洗礼を受けた時にシスターから頂いた言葉が聖書の「時がある」だった。今週の日曜日、実家に帰った。お彼岸と敬老の日母にささやかなお祝いをと思った。いつも母は弟とお墓参りに行くが、今回は疲れるので行かないという。母の記憶もあやしいので、弟が一人でお墓参りに行くのかどうかもわからなかった。母と昼ごはんを食べた終わったころ、弟がやってきた。急いだので、電話もできずに来たという。弟とは15年ぶりくらいに会った。なにを腹を立ているのか、一切連絡を絶たれた。母の入院騒ぎやらで電話をしても、けんもほろろだった。この年になって、家族も少ないのだから仲良くしたい と思っていた。母は嬉しそうだった。弟はお墓参りに行っても、実家へ来たのはそれこそ何年ぶりからしい。そして三人が揃うのは父の葬儀以来ではないか。それぞれがなにも余分なことは言わずにテーブルを囲んだ。少し会話のかみ合わぬ母ではあったが、久ぶりの家族の話は弾んだ。弟は、庭の木を切り、家の中を見回し、不便なところを今度直しに来るという。ただただ、母の笑顔が嬉しい日だった。時とはこうしてくるものだ と思った。
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