自分のために1日使える日。洗濯、部屋の掃除、買い物、料理・・・・。そんな日常がたまらなくうれしい。それと同時にカメラを持って、素人取材に出かける日も楽しい。どちらも私なのだ。
一生懸命、主婦業と仕事をしていた日々。夢中で働いていた。休んでいるのは眠っているときくらいだった。これは、何かをしていないと、嫌われる(認めてもらえない)という恐怖観念だった気もする。成育過程の心のひずみのようにも思う。自己満足のいい妻だった。
心の奥に悪魔が棲んでいた。それが私の本質のように思える。「悪女になるなら、月夜はおよしよ、素直になりすぎる・・」だったかな。中島みゆきの「悪女」の歌詞。世の中には「まさか」ということが起こる。「まさか」に蓋をする能力不足なのだろう。いや、蓋をして、蓋をして、最後に力尽きたのだろう。
サマリヤの女(聖書に出てくる女性)のように「あなたの罪は許された」と洗礼を受けた。悪魔はまだ私の心に棲んでいるようだ。ただ、うまく付き合うようになった。蓋などしないことだと 思った。そして、月夜に堂々と素直になることだと。ただ、神以外に告白することなく、そっとそっと「行かないで」とつぶやくことだろう。
だから、日曜日、夫と買い物や散歩に出かけるというような幸せな日常を捨てて一人掃除に黙々と励む?のだろう。
一生懸命、主婦業と仕事をしていた日々。夢中で働いていた。休んでいるのは眠っているときくらいだった。これは、何かをしていないと、嫌われる(認めてもらえない)という恐怖観念だった気もする。成育過程の心のひずみのようにも思う。自己満足のいい妻だった。
心の奥に悪魔が棲んでいた。それが私の本質のように思える。「悪女になるなら、月夜はおよしよ、素直になりすぎる・・」だったかな。中島みゆきの「悪女」の歌詞。世の中には「まさか」ということが起こる。「まさか」に蓋をする能力不足なのだろう。いや、蓋をして、蓋をして、最後に力尽きたのだろう。
サマリヤの女(聖書に出てくる女性)のように「あなたの罪は許された」と洗礼を受けた。悪魔はまだ私の心に棲んでいるようだ。ただ、うまく付き合うようになった。蓋などしないことだと 思った。そして、月夜に堂々と素直になることだと。ただ、神以外に告白することなく、そっとそっと「行かないで」とつぶやくことだろう。
だから、日曜日、夫と買い物や散歩に出かけるというような幸せな日常を捨てて一人掃除に黙々と励む?のだろう。
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