いろいろな青少年の事件が起こるたびに、家庭という問題が浮上してくる。家庭は子どもにとって一番安全な所なはずなのに、ただ孤独やさびしさのもとになっていることがある。子供たちと関わりだして20年は経つだろうか。ドロップアウトした子供たちを元の進路に戻したり、問題あると言われる子たちとの関係は多かった。そのどこにもぶつけることのできないさびしさを抱きしめてきた。この頃感じることは、父親の存在だ。父親とは「限界を教えるもの」だと聞いたことがある。確かにそうだと思う。これ以上はしたら事故になる というようなことを教えていくのは父親だと思う。どうもその重さが軽くなってきてしまったようだ。母性の欠如と父権の喪失。そんな家庭で育ったら、子どもは愛情不足でどれだけさびしい思いをしているのだろうか。
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