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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

二人の食卓(3)

2016-12-20 20:14:23 | 日記
 忙しい毎日を過ごしていたら、12月も20日になってしましました。先週末は名古屋へ子供たちとシニアのサッカー交流会の取材に。小3・小4の子供たちと準備運動をするシニア(70歳以上)楽しそうなこと。サンタさんも登場で、子供たちが中学生になっても高校生になっても、社会人として他の地方に出でまたこの地に帰ってきても、自分たちの年までサッカーが出来るような環境をつくっていこう!という思いの交流会でした。

 今日はしっかり料理を作り、二人の食卓になりました。一人分の食事で二人の食卓を作ります。1年続けたでしょうか?食器も減らしたのに、少し増えてしまいました。食卓にはいつも花が飾られるようになり、家の中も整理整頓ができるようになりました。相棒に「おいしいね」と言ったり「今日は何もなくてごめんなさい」と謝ったりしながら危ないおばさんをしています。1年続くと家の中に気配を感じることが出来ます。それが豊かさになりました。

 今年はクリスマスの飾りを部屋にしました。一人のクリスマスで自分にご褒美も流行っているようですね。でも、一人よりは二人です。小さなケーキも二つのお皿で。

 
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生きられなかった半生を生きる

2016-12-14 22:41:06 | 日記
 昨日は誕生日だった。もう祝う年でもないのに・・・。でもフェイスブックのお友達からの「お誕生日おめでとう」はうれしかった。何度「今日は私のお誕生日よ」 と言っても忘れてしまう母と1日いたからかもしれない。そのメッセージで弾みがついたような気もする。新しいことへのチャレンジが出来そうだ。

 誰の心理学だっただろうか、50歳を過ぎてからは今まで生きられなかった人生の影の部分を生きるのだ という。生きられなかった人生?最近はベランダの草花が気になりだした。今までガーデニングに興味がなかったわけではないが、最近少しずつ手入れをしだした。室内の観葉植物や花にも気を使うようになった。いままでの気持ちとはまた何か違う。暮らしを本当に楽しむようになったからだろうか。自分の生活が大事になったと言うのか。

 働きすぎた人生で見失っていたものは、私の時間かもしれない。仕事のため、家庭のためと思い自分のことは後回しだった。なんでも夫優先だった。神様が囁いたのかもしれない「もう、あなたの時間をのんびり過ごしなさい」と。

 

 
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ボブ・ディラン

2016-12-11 18:05:45 | 日記
 日が落ちるととたんに寒くなる。ぴりっとした空気がたちこめる。やはり冬の気配だ。

 昨夜、ボブ・ディランの特集をNHKでやっていた。ノーベル賞文学賞で話題にはなっていたが曲は久しく聞いていなかった。ディランの曲を教えてくれた(歌ってくれたのは)大学時代から30年も引きずった彼であった。よくギターを弾きながら歌ってくれた。

 TVの画面に写る訳詞を見て驚いた。こんな意味だったのか と。当時でももちろん歌詞は意識していた。この年になって(何十年もたって)やっとわかるような、そして今の世界へのメッセージでもあるような、そんなすばらしい歌詞だ。

 この歌詞は私の中に生きていた! と感じた。何十年も私の生きていく方向性だった、気がする。もちろん、彼がそれを意識して歌ってくれたとは思わないが、もがきながらも求めるものに行き着いたのは、この歌詞のおかげではないか と思った。それくらい生きることに深い意味を与えてくれる歌詞だった。ディランの曲、それは青春の1ページではなく、人生の1ページだった気がする。

 
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道ならぬ恋

2016-12-09 14:09:52 | 日記
 昨日はなかなか予定の合わないお友達とやっと約束が果たせて二人でドライブに。イルミネーションを見るつもりで、人口湖畔へ。3時から点灯とのことで、お昼に着いた私たちはお団子だけしか食べられず、ただの電球をたくさん見て岐路へ。そこは主婦ふたりで、途中の道の駅でたくさん安い野菜を購入。

 今年の流行語大賞にも「不倫」という言葉がありました。道ならぬ恋 というのでしょうか。言葉で定義できるものではないのですが、道ならぬ愛 というものは聞きません。「恋」がだめなら「愛」に昇華するしかない。そんなことをお友達と話しました。それはキリスト者の二人が思うことなのかもしれなけれども、この世の幸せだけを求めない ということでしょうか。想いをどこまでも深く深くうずめていく・・・。

 お友達はCDをプレゼントにつくりました。人前で何かを発表することが大嫌いな彼女の課題は「人前で発表できるような気持ちになる」でした。それに応えるのが一番のプレゼントだと考えた彼女はお兄さんのピアノで賛美歌を歌いをCDにしました。そのCDは1回だけで消滅するもので12/25には回収するということでした。素敵なオリジナルCDでした。

 現実で道ならぬ相手の環境と同じものをつくろうとしない それが恋を愛に昇華する方法のように思うのです。別の世界で愛を育てる 雲の上のような愛を。そんなことができたら、それは神様も許してくださると思うのです。

 
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コーヒーにお砂糖は?

2016-12-07 17:47:03 | 日記
 今日は12月下旬の陽気とか。それでも湘南は暖かい気がします。先日、同じくらいの年のお友達と横浜を散策。おばさん二人は言うのです。「昔は今の子たちのように厚着しなかったわよね」「そうよ、すぐ破れる薄いストッキングにミニスカート。下着だって夏冬同じくらいだったし」自慢になるかどうかわかりませんが、たしかに薄着でしたね。ですから今も若い人たちより薄着でいられます。

 海の見える丘公園でお茶をしたときに、「真知子さん、お砂糖は?」とお友達が尋ねました。懐かしい会話です。コーヒーにお砂糖もクリームも彼と同じようにしていたときがありました。遠い昔のお話です。なんとも主体性のない女でした。食事もそうでした。「何を食べる?」と言われても「あなたの好きなものでいいわ」でしたし、着るものも彼に合わせていましたし、生き方も「こういう人でいて欲しい」と言われればそのように生きてきたつもりです。

 たしかに自分の生きたいように生きたかもしれないけど、根っこは愛する人の望むようjに生きてきた気がします。自分はなかったのだなぁ と思うのです。それでよかったのだなぁ

と思うのですが・・・・・。

 
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