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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

あいのあらし

2017-08-20 22:21:19 | 日記
 今日は1日パソコンとにらめっこの日。そして、すごい!ドラマを見た日。冊子「いのち」が完成した。やればできるのにもたもたしていた。サッカーの冊子と違い、情感が動かないと、きれいに仕上がらない。内容はともかく、満足!最後が仕上らなかった。どうしてもページがあまり、久しぶりに文章を書かなくてはならない。字数がかなりタイトなこと、前後のつながりを作らなくてはならないこと と難しかった。当然、行き詰った。

 高橋一生が今日で亡くなる(いや、役の上で)という、「女城主 直虎」を見る。今日で視聴率も落ちるのではという高橋の人気だった。すごい脚本だ!日曜日の8時の大河ドラマでは考えられないシナリオだ。あまり人気がないというのも、えへへ と笑えない深いお話だったからではないか。しかし、あっぱれの愛である。あそこまで人を愛せたら、それこそ「本懐」だ。製作者もしばらく脱力状態だった という。だから、貼りつけの刑で槍に射され、、血を吐いて 死ぬ」という壮絶な場面でも、後味が悪くない。完全燃焼した感じだ。視聴率なんてどうでもいいじゃないの といえる。

 「いのち」の文章は、直虎を見てから完成した。無駄な表現を省いた。完全には言い切れないが、それでも伝えたいことは枠に収めた。私はいとしく思う人の胸は突けないが、最期までその手にわが身を委ねようと思う。それが「本懐」かな。

 

 
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 日々の暮らし

2017-08-19 21:23:13 | 日記
 静かに雨が降っている。なんとなく秋の足音が聞こえる。秋が来ると、すぐに12月になる。1年が早い。
 最近の日常は、午前中は、家の中のことをまず先に済ますことにしている。家事が一段落すると、今日の聖書を読んで、なんと中学入試の計算練習と漢字を解いている。ボケ防止というのではないが、けっこうおもしろくてはまっている。そんなことをしていると、お昼になる。
 私の友達は独身者が多い。一人以外はみな、死別か生別で、その後一人でがんばっている。3歳ずつ位で年が違う。最近、みな仕事を辞めて、フリーの身になった。それぞれが、自分のやりたいことをやり始めた。離婚後、マンションを買ったIさん。「ローンでも組まないと、ホストに入れあげるのがオチだから・・」という。一番そんな感じではないのに。彼女は家を故郷の別荘地に建てた。人の面倒ばかり看ていたKさんは相変わらずボランティアに励んでいる。Yさんは、一人だけ健全に働きながら家庭を守った人。今も旦那さんのために尽くしている。このメンバーは、今の暮らしが大いに気にいっている。日に干したお蒲団の匂い、ぴかぴかの台所やお風呂場、ベランダで咲いた花を活けたり、安いイチゴを買ってきてジャムを作ったり・・・。いままでできなかった日常を楽しんでいる。
 新川和子さんの「私を束ねないで」に「わたしを止めないで標本箱の昆虫のように」とあった。私は止めてもらってよかった と思う。平和な日常の中で取り戻した自分がある。
 
 
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 行間を読む

2017-08-17 19:02:53 | 日記
 やっと晴れた(曇り)1日。そろそろお盆休みの終わりらしい。フェイスブックでは、旅の報告が毎日UPされます。「いいなぁ」と思いながら、湿度の高い部屋でまったりしています。もうだいぶ長いこと、お盆休みには出かけなくなりました。塾の経営をしているときは、続けて4日以上休めることはなく、休みでも新しい学期の準備やらでのんびり出来るのは2日くらい。「世間は連休なのよね」などと「世間は・・・・」でした。

 まったりしながら、懐かしい歌謡曲の番組などを聞いていると、阿久悠さんがライバルのなかにし礼さんの曲を聴いて、その詩の行間にあるものを考えた と話していました。たしかに、阿久悠さんとなかにし礼さんとの行間に漂うものは違う気がします。すべてを言い切らない歌詞は余韻が残りますし、それを聴く人にその人なりの情感を持つことが出来る気がします。阿久悠さんはそれが「昭和の歌」だといいます。

 久しぶりに「神田川」を聞きました。今のワンルームマンションの暮らしでは出ない情感です。「小さな石鹸 カタカタ鳴った」などその暮らしまでわかるようです。

 「ただ、あなたのやさしさが こわかった」は今になって聞いてみるとすごい歌詞のように思うのです。これは「あなた」は女性で男性の言葉だということです。その優しさで自分がだめになりそうだ ということなのでしょうか。 この「あなた」が男性なら・・・。私の想像だけの世界のその 「やさしさ」が胸を締め付けて、涙が出てくるのです。苦しいくらいの「やさしさ」です。

 

 
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魂(ソウル)の世界で

2017-08-15 21:40:10 | 日記
 涼しいのはいいのですが、雨が続くのには閉口です。今日は終戦の日。72年という歳月をどうとらえたらいいのでしょうか。教会では、聖母マリアの被昇天のミサでした。歴史で学んだ1949年、フランシスコ・ザビエルが、初めて鹿児島に上陸したのは8月15日でした。日本の歴史的な出来事を聖母マリアの祝日はよく重なります。1941年12月8日、真珠湾攻撃によって太平洋戦争が始まったこの日は、「無原罪の聖マリアの祝日」で、サンフランシスコ講和条約が調印された1951年9月8日は聖マリアの誕生日です。今日のミサは、一部はスペイン語で行われました。ふと外国映画の教会のシーンを思い出しました。

  お隣の席には、杖を離せないおばあさんがいらっしゃいました。支えると折れそうな腕です。それでも信仰があるということはすばらしいなぁ と思いました。仏教であれ、キリスト教であれ、生きていくうえで支えとなるものが段々に必要になる気がします。あまり宗教に興味なのない友人がご主人を亡くされてからは、「死というものは魂との対話になるから、宗教が必要かもしれない」と言われました。多くの死を見つめた臨床医は、医学的な理解を超えたようなお話をされます。スピリチュアルな世界というのか。

 時に魂が呼ぶと思うことがあります。それは理屈では説明できません。ただ、自分の感性を信じるだけです。

 
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平穏死

2017-08-14 18:50:33 | 日記
 どんよりとした空はどうもいけない。起きるのも、掛け声がいる。日常をこなすことの大切さを感じるこの頃、朝の準備をする。ベランダに出ると、消毒をしたぽんぽんダリやは花をつけない。ついても咲かない。植物成分とかいう殺菌剤なのに。桃の実の位置がおかしいので見てみると、ネットの中に落ちていた。ああ、これが限界だったか、よくがんばった、と声をかけた。1メートル足らずの木にはこの大きさが精一杯だったのだろう。記念にカメラに収めた。熟れた桃の色をしている。半分にしてみようと手に取ると皮がむける。ミニミニの桃である!やわらかく甘い!

 最近読んだ本に石飛幸三著の「平穏死」のすすめ がある。日野原先生の死をきっかけに読んだ。人が自然に死になじんでいく という自然の摂理にかなう死の話が多かった。終末期医療の話で、「胃ろう」や「点滴」の問題は、自分自身の問題と家族の問題としては、乖離があるとも言われる。その場に及んで、親の「胃ろう」や「点滴」を医師に断ることが出来ないとも言う。

 木は自分の力以上に実をつけないという。ついてもおちてしまうという。実が熟せば、自然に落ちるという。今日の桃子ををみていると、自然とはすばらしい と思った。小さくても熟れていたことはすごいと思った。人も自然の摂理で生きるのがいいのだろう。

 
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