涼しいのはいいのですが、雨が続くのには閉口です。今日は終戦の日。72年という歳月をどうとらえたらいいのでしょうか。教会では、聖母マリアの被昇天のミサでした。歴史で学んだ1949年、フランシスコ・ザビエルが、初めて鹿児島に上陸したのは8月15日でした。日本の歴史的な出来事を聖母マリアの祝日はよく重なります。1941年12月8日、真珠湾攻撃によって太平洋戦争が始まったこの日は、「無原罪の聖マリアの祝日」で、サンフランシスコ講和条約が調印された1951年9月8日は聖マリアの誕生日です。今日のミサは、一部はスペイン語で行われました。ふと外国映画の教会のシーンを思い出しました。
お隣の席には、杖を離せないおばあさんがいらっしゃいました。支えると折れそうな腕です。それでも信仰があるということはすばらしいなぁ と思いました。仏教であれ、キリスト教であれ、生きていくうえで支えとなるものが段々に必要になる気がします。あまり宗教に興味なのない友人がご主人を亡くされてからは、「死というものは魂との対話になるから、宗教が必要かもしれない」と言われました。多くの死を見つめた臨床医は、医学的な理解を超えたようなお話をされます。スピリチュアルな世界というのか。
時に魂が呼ぶと思うことがあります。それは理屈では説明できません。ただ、自分の感性を信じるだけです。
お隣の席には、杖を離せないおばあさんがいらっしゃいました。支えると折れそうな腕です。それでも信仰があるということはすばらしいなぁ と思いました。仏教であれ、キリスト教であれ、生きていくうえで支えとなるものが段々に必要になる気がします。あまり宗教に興味なのない友人がご主人を亡くされてからは、「死というものは魂との対話になるから、宗教が必要かもしれない」と言われました。多くの死を見つめた臨床医は、医学的な理解を超えたようなお話をされます。スピリチュアルな世界というのか。
時に魂が呼ぶと思うことがあります。それは理屈では説明できません。ただ、自分の感性を信じるだけです。