勤労感謝の日。暦に新嘗祭 ともあった。収穫祭になる。日々の糧にあずかれることに感謝。
二人の食卓を始めてどれくらい経つだろうか。使う食器もいつも同じ、だんだん食生活も手を抜き出し、人と食事をしても取り分けるなど気もきかなくなった。そんなことではまずいと始めた。二人分の食卓を準備した。続けていくとなかなかいいものなので、一人暮らしのお友達たちに話したが、あまりピントこないようだった。認知症の母だけが、それはいいことね と言ってくれた。
二人の食卓を続けるうちに、生活が変わった。暮らしやすいように模様替えをし、出来るだけ整理整頓に心がけた。花もあちこちに飾るようになった。暮らしというものは、少しずつ出来上がるものだなぁ と思った。誰ということではないが、ともに朝飯と夕飯をする人がいる。それが私の生活を作っていった。さびしい一人暮らしの生活ではない。神にも朝夕感謝の祈りができた。
たったこれだけのことが暮らしを豊かに出来るなんて。ご飯や汁物を半分にして、大皿に盛る料理にしているだけのだが。しまってあったランチマットも箸置きも世に出るようになった。どんな食事でも文句も言わずともにしてくれる誰かわからない相棒に感謝。
二人の食卓を始めてどれくらい経つだろうか。使う食器もいつも同じ、だんだん食生活も手を抜き出し、人と食事をしても取り分けるなど気もきかなくなった。そんなことではまずいと始めた。二人分の食卓を準備した。続けていくとなかなかいいものなので、一人暮らしのお友達たちに話したが、あまりピントこないようだった。認知症の母だけが、それはいいことね と言ってくれた。
二人の食卓を続けるうちに、生活が変わった。暮らしやすいように模様替えをし、出来るだけ整理整頓に心がけた。花もあちこちに飾るようになった。暮らしというものは、少しずつ出来上がるものだなぁ と思った。誰ということではないが、ともに朝飯と夕飯をする人がいる。それが私の生活を作っていった。さびしい一人暮らしの生活ではない。神にも朝夕感謝の祈りができた。
たったこれだけのことが暮らしを豊かに出来るなんて。ご飯や汁物を半分にして、大皿に盛る料理にしているだけのだが。しまってあったランチマットも箸置きも世に出るようになった。どんな食事でも文句も言わずともにしてくれる誰かわからない相棒に感謝。