gooブログはじめました!

あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

 二人の食卓(4)

2017-11-23 21:54:24 | 日記
 勤労感謝の日。暦に新嘗祭 ともあった。収穫祭になる。日々の糧にあずかれることに感謝。

 二人の食卓を始めてどれくらい経つだろうか。使う食器もいつも同じ、だんだん食生活も手を抜き出し、人と食事をしても取り分けるなど気もきかなくなった。そんなことではまずいと始めた。二人分の食卓を準備した。続けていくとなかなかいいものなので、一人暮らしのお友達たちに話したが、あまりピントこないようだった。認知症の母だけが、それはいいことね と言ってくれた。

 二人の食卓を続けるうちに、生活が変わった。暮らしやすいように模様替えをし、出来るだけ整理整頓に心がけた。花もあちこちに飾るようになった。暮らしというものは、少しずつ出来上がるものだなぁ と思った。誰ということではないが、ともに朝飯と夕飯をする人がいる。それが私の生活を作っていった。さびしい一人暮らしの生活ではない。神にも朝夕感謝の祈りができた。

 たったこれだけのことが暮らしを豊かに出来るなんて。ご飯や汁物を半分にして、大皿に盛る料理にしているだけのだが。しまってあったランチマットも箸置きも世に出るようになった。どんな食事でも文句も言わずともにしてくれる誰かわからない相棒に感謝。

 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 上野の森で

2017-11-22 22:18:34 | 日記
 今日は上野の森の東京国立博物館で開催されている運慶展へ。平日もあって、20分ぐらいの待ち時間だった。行きたいと思ってもなかなか行けない展覧会も多かったので、うれしかった。運慶に関しては、歴史の教科書で知る範囲だった。各地に散らばる仏像が一箇所に集まっているので、すばらしい。見て廻るうちに、心が落ち着いてくる。木像で漆塗りのものが多い中で、頼朝公の3回忌に奉納されたという聖観音菩薩立像が彩り豊かで美しかった。

 上野の森は、あらゆる世代の人、さまざまな国の観光客であふれていた。上野の森から鶯谷を経て、谷中の墓地へ。子供のころは、夏は祖父が納涼に不忍池へ、お正月には上野の映画館へ、日曜日には家族や家で働いていた人たちと動物園へ、高校のころは音楽会や美術展へ。社会人になると会社のお花見に。上野は懐かしい場所だった。木漏れ日の差し込む黄葉したイチョウの木々。子供のころからある木のようだ。ここはあまり変わらない。生まれた千駄木はマンションが建ち、ごちゃごちゃしてしまい木も少なくなった。最近は、訊ねなくなった。

 やっとこんな時間が取れた。法隆寺資料館も見ることが出来た。思わず小さな菩薩立像に十字を切った。生きるものの祈りというものは、仏教もキリスト教もない気がした。人の魂の祈りは同じなのだろう。こうなると、やはり海外のキリスト教に触れたいと思う。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 ハンドルの遊び

2017-11-21 20:51:55 | 日記
 青空が広がる日だった。" If I were a bird,......" こんな構文を思い出した。英文法の仮定法過去だったかな。そうです、あなたの元に飛んでいけるのに・・・。

 やっとNPOの仕事が一区切り付いた。区切りだけで延々と続きそうだ。今年の取材の写真を整理していた。その多さに我ながらびっくり。これだけ取材していれば、たしかにみなさんが大丈夫ですか?と心配してくださったのがわかる。だが、私としては、意外に軽く越えた。

 若い歌手が昭和の歌謡曲やポップスをカバーしていた。歌は上手いが何か違う。目いっぱい過ぎるという感じだ。歌に遊びがないというのか、一呼吸早いというのか、忙しい情緒のない歌になっている。時代のせいなのだろうかとも思った。ふと、車のハンドルの遊びの話を思い出した。遊びがないとちょっとハンドルを切っただけでタイヤが動いてしまい非常に運転しにい という。レーシングカーにはハンドルに遊びがないという。研究者のA先生が以前教えてくれた。特に長く続けることには「遊び」が必要だと。

 私にはNPOが遊びなのかもしれない。本業は主婦業だ。これが毎日楽しい。夕飯の準備をゆっくりできるなんて最高だ。どちらが遊びなのかわからないが、息切れはしなくなった。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グレーゾーン

2017-11-20 21:48:49 | 日記
 何も出来ない1日だった。お友達が近くまで来たのでランチだった。彼女の足の裏が痛いという症状の相談にのっていた。いろいろ検査をしても原因がはっきりせず、医師に不信感をいたいている。原因がわからないことは、この年になるとすべて『老化』で処理される。「老化原因」なかなか受け入れがたい診断だ。彼女はきちんとしないと気がすまない人なので、治療や指示された運動も受け入れがたいらしい。

 グレーゾーン という言葉を思い出した。男と女では男のほうがグレーゾーンが広いと言われている。「AなのBなのはっきりして!」というのは女性だ。「私と彼女とどちらが大事なの?」 と妻に迫られて「君だ」という男は信用できないという。「どちらもだ」というほうが正直らしい。関西と関東では関西のほうがグレーゾーンが広いという。理由は忘れたが。

 昔は白黒はっきりさせないと気がすまなかったほうだ。最近は、黒でもまず受け入れる そして時間をかけてグレーにしていく。自分を同化させるのかもしれない。黒は黒でいいとも思う。『受け入れる』ことを学んだ。まず、そこから始めようと。年なのかもしれない。だが、自分の時間はなかなか譲れない。大事な時間は、大事な人のためにだけに使おうと。好きでもない人とはどんなに贅沢な生活でも共に出来ないということだろうか。(そんな話は来ないが)まぁ、人生ちゃらんぽらんなくらいが暮らしやすいのだろう と思うこの頃だ。単純に信じて、だまされたらそれまで そんな感じだ。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 活かされて

2017-11-19 21:12:55 | 日記
 日曜日、久しぶりにミサに行くことができた。7.5.3の祝福もあった。共同体としての7.5.3のお祝いだった。二人の3歳の女の子が両親とともにみなから祝福を受けた。昔は地域が共同体としてお祝いをいていたのだろう。3歳では覚えていないかもしれないが、両親には喜びとして残るのだろう。

 今日のお説教はわかりにくかった福音だった。旅に出る主人が3人の僕に能力に応じて財産を預けた。一番多く預かったものは、それで商売をして同じ額を儲けた。もう一人も同じように預かったお金を使い同じ額だけ儲けた。一番少なく預かったものは、なくなってはと土に埋めてそのままにしておいた。ないもせずそのまま土に埋めたもの以外は褒められ褒美をもらった。なにもせずに土に埋めたものは追い出された。そんな福音だ。これはお金の話しだったが、心(気持ち)のことで考えてみよう、と神父さんは言われた。人から頂いた思いは、そのままにするのではなく、それを活かすことだと。

 NPOを支援してくださるみなさんに冊子と一緒に送る短いメッセージを書いている。今日はそれがたいへんではなくみなさんに合ったように丁寧に書けた。ほかのこともそのように思えて、丁寧に丁寧に活かしていこう と思えた。無理をせずに。それができることがとても喜びに思えた。遠く感じていたものが近くに感じられた。生きているということは、それだけですばらしいと思った。

 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする