gooブログはじめました!

あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

あなたは何を悩んでいるのですか?

2023-06-22 19:59:45 | 日記

一昨日の夜は風の音、昨日は雨の音であまりよく眠れませんでした。そして、今朝は肩が冷えたのか痛みます。スクールガードの時に、蛍を女の子が見つけました。細い側溝の上にいました。ああ、この前は沢蟹、今度は蛍、この町は本当に水がきれいです。雨が多かったこともあるのかもしれません。千葉から遊びに来たサッカー友が「町の中を川が流れるなんていいなぁ」と言っていました。

今週の日曜日のミサのお説教を見ていないのに気が付きました。教会には行けないので、ミサの動画を見たり、お説教を読んだりしています。「人を助ける」ではなくて「人が助かる」だと。なんでも、自分が中心になるのではなく、相手を中心に考えて、相手に寄り添っていきなさい、でした。

電話で「どうした?またなにかあったか?」とすぐ聞いてくれるサッカー友がいます。メールでほしい資料をお願いしただけなのですが、私がメールするときは何か困っているときだと思ってくださるようです。そうですね、私はいつも自分の悩みばかり相手に話していて、相手が何か悩んでいるのではないかとは考えていませんでした。あの人は悩むことはないのだろうか・・・。私以上にあるのではないか・・・。

聞かなくても相手のことをどれだけ考えていたのでしょうか。確かに、健康のことなどはいつも心配していましたが、もっと他のことで困っていないか考えればよかったのでしょうね。

神父様は日本人の祈りは「自分をこうこうしてください」というお祈りが多いと話されました。主語が一人称なのですね。誰かのために祈ることが少ないそうです。そういうことはないのですが、相手に対してなにができるわけでなくてももっと相手の状態を想像できるようになりたいと思いました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わたしはどこへ行けばいいの?

2023-06-21 20:07:32 | 日記

蒸し暑い東京・神奈川に雑雑とした用事をたして、シニアサッカーの取材にと3日ほど出ていました。段々物事の対応能力が低くなり、ホテルに帰るとほっとして、しばらく寝転んでいます。あらゆることから22㎡くらいのシングルルームに逃げ込んでいる気さえします。

スカイツリーの近くの下町にいました。おそらく祖父母が、父や叔父が生まれたころに住んでいたところのようです。ほんの少し残る町家の風情にそんなことを思いました。教え子が住んでいます。墨田川にも近く、なかなかいいところのようです。「先生もこの辺に住めばいいのに・・・」と教え子。

そして、翌日は打合せで鎌倉へ。あの静かな鎌倉はどこにもありません。それでも大宮の奥の辺りの切通は紫陽花が咲いていて、鎌倉の風情でした。あの小町通りは、古いお店はほとんどなく、ここはどこ?という感じです。長谷もそうだそうです。「鎌倉に住んで、おばあちゃんの(友達のおかあさん)家のお手伝いをしたら・・・」という親友。

そして、翌日は平塚の馬入へ。久しぶりにサッカー仲間にお会いしました。東京→新横浜→小田原と途中ではあまり下車しません。「おばさ~ん!久しぶりだね」と口の悪いシニアが言います。でも、彼は言いました。「向こうで(長浜)具合が悪くなったらたいへんだろう。ここなら(神奈川)みんながいるから安心だよ」と。(役に立つ人がいるかしら?)でも、自分の都合で東京や神奈川にもどっておいでという人はいましたが、私のことを案じたひとは彼だけでした。

そういえば、「寒いなら、京都でも宇治は大丈夫だよ」という人もいました。そうなのです、問題は寒さなのです。そしてそれからくる体調不安なのです。あまりにも、うまく神奈川から長浜に越したので、簡単に引っ越しが出来るとおもうのでしょうか・・・。

私はどこへ行けばいいの?これからますます一人の生活が厳しくなるのに・・・。でも、それは覚悟の上でしょ!と言われるのが落ちですね。まぁ、時はやってくるのでしょうから・・・。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

たまには父のこと

2023-06-17 19:27:43 | 日記

朝から陽ざしがギラギラして、お昼近くには28度を超えていました。ベタベタとした湿気はありませんが、日焼け止めは役に立たない感じです。ああ、こんな日がまた来るのですね・・・。

明日は父の日です。母のことはぶろぐに書いても、父の思い出はあまり書きません。ある意味では、影の薄い人でした。言葉も少なく、声を荒立てることもありませんでした。母に言わせれば、覇気がないでした。父のアルバムを見ると、山男で仲間と楽しそうにキャンプをしている姿がたくさんありました。スキーの写真はありませんでしたが、家の物置にはスキーの板がたくさんありました。おそらく、兄弟が仲がよくて、よく山に出かけていたようです。

父は戦争が始まったころ肋膜を患って、軍隊から帰されたと言います。祖母が必死で看病したそうです。そして、終戦直前弟が軍隊で自死したということです。(これは私が50位で母から聞いたことです)そこから父の人生は違ってしまったようです。家業の紳士服仕立てを継ぐことになります。今なら一部上場の会社に勤めていたのに辞めて、仕方なく家業を継ぎ、母と結婚しました。母との結婚は仕方なくではなかったようです。20何回のお見合いの末で選んだのですから。

父は野外の運動だけでなく、西条八十氏に師事していて、大正ロマンの青年だったそうです。明治の文学は、原文で読んでいたとか。それとあとでわかったのはクラッシック音楽に精通していたことです。歌は音痴でしたが。笑。素敵な女性たちとも交流もあったのでは。そんなんものを全部捨てて家に入ったのですから、すべて諦念という感じでした。ただ静かになにもなければいいと仕事をしていた感じです。

ですから、私にも「それは無理だから・・・」という返事が多かったです。「そうか、一緒に頑張るか!」というような返事はありませんでした。母はもっとイライラしたようです。私の頼れる人が欲しい病はこの頃から始まったのだと思います。

それでも、母も言いましたが、大きな愛情を持った人ではないかと。頑固でワンマンな祖父、それに逆らえずにいる祖母、その一家が抱えていた叔父や叔母の問題。そんなことをもめごとなくこなしていけたのは、あの父の愛情ではないのかと思います。

時々、父が語ってくれたクラッシックの話を思い出します。団子っ鼻の父からは想像がつきにくかったです。そして、コーヒーが好きだった父。その姿にほんの少し大正ロマンの文学青年の影がありました。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さわやかのお話が欲しい

2023-06-16 20:22:59 | 日記

朝の7時半でも陽ざしがまぶしい日でした。子供たちは元気に重いリックを背負って少しだるそうに集まってきました。「今日1日がんばろうね」で始まります。今朝もさわやかな風が吹いていました。

ネットの記事を見ていると、なんとも品がないというか節操がないというのか。イエス様が言われました、姦淫の罪に問われている女の人に石打の刑をしようとしている人たちに、「いままでに罪を犯したことのない者が石を投げていい」と。全員がその場を去ったそうです。「女よ、罪は許された」と言われたそうです。

さわやかなお話がないかと考えるのですが・・・。このお話は一度ブログに書いたと思いますが、こころにずっと住んでいたY氏のことです。私は彼の住む沿線で夫と塾を経営していました。彼の電話番号は覚えていましたが、住所は最後の何号が怪しいのです。そんな時、ある私立中学の名簿が入手できました。(当時は割と名簿管理が緩やかでした)その中にあった息子さんの電話番号から彼の住所を見つけたのです!おそらく、5月ごろのことと思います。住所がわからなくても、彼の家は覚えているのですが。

息子さんの名前は〇也君、〇は私の名前の一字でした。何かの偶然と思うのですが・・・。そのままそっと住所を書き写しました。12月に迷いましたが、塾名で年賀状を出しました。お正月に「お元気そうで何よりです」との年賀状が届きました。犬の名前はラッシー、お嬢さんの名前は△子で△は私の名前の1字でした。

今日はいつも通る高校の横道に紫陽花がたくさん咲いていました!全部ピンクなのです。きれいなのですこし寄り道をしました。「北高あじさいロード」と書かれていました。さわやかの風が吹き抜けていきました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Live for Love (愛のために生きて こころのままに)

2023-06-14 18:13:29 | 日記

今日もどんよりとした空です。しばらくは続きそうですね。だいぶ自分のモチベーションを同じように保つことが出来るようになりました。朝は、まずカーテンをかけ光を入れて、「おはようございます!」の挨拶に回ります。ちゃんと声を出して。ぐずぐずと昨日を引きずらないためにも。

不倫騒動のお二人がほぼ事実ですと認めて、謝罪をされていました。なにか違和感がありました。1週間ぐらいでお謝りになるのなら、初めから覚悟されて認めてしまえばいいのに。40過ぎれば、そのことが自分たちの理屈だけでは通らないことはわかると思うのです。それでも走ったのは、相手がそれほどに魅力的だったのか?どうしても走らなくてはならないような気持があったのか?そうでなければ、あまり考えていなかったのか?恋に落ちることは誰にでもありますが、そこから「どうする?」になるのですね。痛い思いをしても走るのか、思いとどまって心のどこかに埋めるのか?

 

今朝の朝ドラでどうしても主人公への思いを打ち切れないで苦しんでいる女性に、事情を知るダンスの先生が ”Live for love(愛のために生きなさい。こころのままに)とアドバイスされました。朝ドラ受けでは「いよいよ走るのか」という感じでした。明治時代のお話、主人公を想う彼女に、地位も名誉もある方が自分のお妾さんにならないかというお話です。妻とは形だけの結婚、それを妻も承知ですと。

こころのままに生きたら、後悔は残らないかもしれませんが・・・。難しい問題だと思います。今は、明治時代とは違うので、お妾さんという位置も違いますね。

想いが自然に消えるまで持ち歩くのがいいのかなぁとも思います。無理して忘れることは、むしろ、自分のこころに傷を残す気がします。忘れるときは、自然に消えていくのでは?それまでは玉手箱は開けないで。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする