太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

意味

2014-11-26 09:58:37 | 日記
昨日、仕事帰りに渋滞にはまっていたら、突然後ろから


ボッコン


と追突された。

ルームミラーで見ると、BMWに乗ったおじさんが「あわわー」という顔をしていて

そしてすぐに携帯電話で電話をかけはじめた。

保険会社と話しているのか、まともな人間にみえた。

フリーウェイの出口で並んでいたので、すぐに車を寄せられる場所はなく、

芝生の路肩が出てきてから、ウィンカーを出し、後ろの車に「こっち」と手で示して

列を離れて芝生に乗り上げた。



ところが  BMWは私の横を走り去ってしまった



芝生の上で、呆然とその後姿を見送る私の気持ちといったら・・・・

渋滞していたはずのレーンが、そのときはすいていて、みるみる車は遠ざかり

ナンバープレートを覚える間もなかった。



頭の中でいろんな考えがめぐる。

いつか、同じ光景を見たことがあった。

隣のレーンで追突された車が路肩に寄せると、追突した車が勢いよく逃げたのだ。

車のナンバープレートを覚えて通報したとしても、証拠がなければしらばっくれられて終わりと聞いたこともある。

かと思えば、駐車場で車をぶつけてしまい、動転して逃げてしまったものの、

ずっと罪の意識に駆られていたところに警察がやってきて、裁判所にまでいく羽目になった知人もいた。

駐車場にある防犯カメラが証拠を押さえていたのだ。




とにかくこのまま芝生の上にいても仕方がないので車を列に戻し、家に帰った。

翌朝、明るいところで後ろのバンパーを見ると、凹んではいないが20センチほどにわたって

ところどころ塗料がはげていた。新品同様にきれいに乗っていたのに・・・・・



数ヶ月前になるが、歯医者の駐車場に停めてドアをあけたら

隣の車に軽く コツン  とドアの先が当たった。

運転席で携帯電話をいじっていた男性が、すごい形相でコチラを振り向いた。

当たったところを見たら、まったく凹んでもいなかったので、窓越しに謝って歯医者に行った。

治療を終えて車に戻ると、後部ドアの一部が凹んでいた。

あの男性が腹いせにやったのだろう。




さて。


私にはいつの頃からか、起きたことの意味を探す癖がついた。

なんでこんなことが・・・と思うような出来事が起きたとき、

私はその意味を探すことで、それを乗り越えてきた。

そうしないと、私は被害者になりきって、なにかのせいにしたくなってしまう。


私は昨日の追突も、腹いせ事件のときも、まずはドカンと頭にきて、

でもすぐにいつもの癖で意味を探した。

追突されるときは、誰かを責めているとき。追突するときは自分を責めているとき、と聞いたことがある。

私は誰かを責めていただろうか、と内観もした。

私が了解したことだけが私に起きる。

だからこれは私の深いところでは了解していたことで、あの人たちとは、そうなることになっていたのだ。





・・・・・・・・・




なんだかしっくりこない。

「だから何??」と思う私がいる。

理不尽なことも人間も鷹揚に許す自分が誇りだったのに、私は今すごく怒りたいのだ。


私が誰かを責めていたにしたって、それがどうだっていうのだ。

すっとぼけたBMWのオヤジも、腹いせ野郎も、いつか必ずどこかで自分がしたことの

代償をたっぷり払えばいいんだ。

スピード違反の切符をきられるとか、水虫になるとか、免許証の書き換えを忘れていたとか、

電話を置き忘れるとか、パンクするとか、夫婦喧嘩するとか。

考え付くだけの代償を思い浮かべて一人でほくそ笑む私もそうとう気持ち悪いが、

怒りたいときには怒って、呪詛したけりゃして、被害者になりたければなってみて、

それからゆっくり意味を探したって悪くはない。



ほんとうは意味なんか探さなくてもいいのだろう。

幸せなことには意味を探さないのだし、

探そうと探すまいと、意味のないことなど起こりはしないことを私は知っていて、

私が知るべき意味は、いつか必ずわかるようになっているのだから。



すっとぼけBMWオヤジと、腹いせ野郎に対して


「ちーびでーぶおたんこなすのひとでなし!!」


と叫んでみる。

ちょっとだけすっきりする。

後部ドアは、直したいほど凹んでいるわけではないし、

むちうちになるような追突ではなかったし、意味はまだ探したくなくても

その中にある祝福には気づいている。







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