友人のVickiはグラスアーティストだ。
近年、材料のガラスがどんどん値上がりしているうえに、ハワイまでの送料もばかにならず、ガラス以外の分野を模索中だ。
専門はガラスでも、アーティストだけに、絵を描いても、なかなかに味のある良いものを描くし、写真も、どうしたらこんなにいいものが撮れるのかというものを撮る。
私が、今は技術的には進歩したけど、プロになる前に創った作品のような勢いや自由さを失ってしまった、という話をしたら、Vickiはおおいに賛同した。
「わかる!!だって、これら、みーんな商業用だもの」
素敵な絵や、写真のカードや、ガラスを指さして言う。
「生活していかなきゃならないから、売れるものを作るのは仕方がないとわかっていても、嫌になることあるよ」
そんな中で、私の3作目のコオラウは、失敗作を遊び心で仕上げたもので、ワクワク感が違った。プロになって初めて、売れる売れないを考えず自分のためだけに創ったものだったからだ。
ちなみに、そのコオラウは手直しされて、こうなった。
ビフォー
アフター
右端の水平線に、染めた紙の色具合で島のように見えてしまっているところを修正したのと、雨上がりだけに現れる滝を加えてみた。
先に創った2作品は完全に売る用だけれど、これは自分用。
でも、軽い気持ちで、これも出してみてもいいかな、と思っている。
「すっごいいいこと、思いついちゃった!!」
Vickiが言う。
「今年が終わるまでに、一つ、自分のためだけに何か創ろう。
それでお互いに見せあおう。いいと思わない?」
それはいい!
自分のためだけに、創る。
それは、実はとても贅沢なこと。
プロになる前には気づかなかった、いや、プロになったからこそ気づいた最高の贅沢。
貴族をパトロンに持った画家たちも、聖堂にフラスコ画を描いた画家たちも、たぶん求められるものを生み出さねばならなかったのではないかと想像する。
何をつくろう。
今からワクワクしている。