今日、1月17日は阪神淡路大震災が発生した日で、今日で28年となります。改めて震災で亡くなられた方々や被災された方々にお見舞い申し上げます。去年まではコロナの影響もあり、追悼行事などは自粛が続いていましたが、今年からは自粛もなくなり、現地での慰霊祭などが行われていたようですね。
奇しくもそんな震災のあった日に父が息を引き取り、今日で丸1年となりました。15日に一回忌法要をすませた所ではありますが、今日も墓参り行き、花の水を交換して来ました。
初命日がすめば1年間の喪中期間も明け、普段の生活に戻りますが、神棚を開放したり、鬼門を清めたりと言った地方独自の行事が始まります。そんな行事の事は何も知らないし、頼りの母は入院中で話しを聞けないのがなんとも心もとないのですが、出来る範囲で出来る事をやろうと思っています。
母の容態がこの先どうなるのか分かりませんが、先日、入院先からの連絡では、特に大きな変化もなく、元気な状態が続いているとの事で少しは安心した所です。いつまでこの状態が続くかは神のみぞ知るって所でしょうが、この先も見守って行こうと気持ちを新たにした所でもあります。
私の父の死去後に妻の実のご両親が亡くなり、妻の実家はまだ服喪中なので、羽目を外しての行動は控えようとは思っていますが、少し遠出の旅行には出られそうです。本当は台湾へ行きたいんですが、母の状態も気になるし、一泊程度の旅行が現状では限度かもしれないですね。そんな妻の実家ももう直ぐ一周忌ですし、実の弟の方の一周忌法要も間近に迫っています。このような状況が来年も続く事になります。(来年は三回忌となります。)
喪が明けたら行って見たい神社もあるし、ようやくその思いが叶えられそうです。
ここまでありがとうございました。合掌。🙏
奇しくもそんな震災のあった日に父が息を引き取り、今日で丸1年となりました。15日に一回忌法要をすませた所ではありますが、今日も墓参り行き、花の水を交換して来ました。
初命日がすめば1年間の喪中期間も明け、普段の生活に戻りますが、神棚を開放したり、鬼門を清めたりと言った地方独自の行事が始まります。そんな行事の事は何も知らないし、頼りの母は入院中で話しを聞けないのがなんとも心もとないのですが、出来る範囲で出来る事をやろうと思っています。
母の容態がこの先どうなるのか分かりませんが、先日、入院先からの連絡では、特に大きな変化もなく、元気な状態が続いているとの事で少しは安心した所です。いつまでこの状態が続くかは神のみぞ知るって所でしょうが、この先も見守って行こうと気持ちを新たにした所でもあります。
私の父の死去後に妻の実のご両親が亡くなり、妻の実家はまだ服喪中なので、羽目を外しての行動は控えようとは思っていますが、少し遠出の旅行には出られそうです。本当は台湾へ行きたいんですが、母の状態も気になるし、一泊程度の旅行が現状では限度かもしれないですね。そんな妻の実家ももう直ぐ一周忌ですし、実の弟の方の一周忌法要も間近に迫っています。このような状況が来年も続く事になります。(来年は三回忌となります。)
喪が明けたら行って見たい神社もあるし、ようやくその思いが叶えられそうです。
ここまでありがとうございました。合掌。🙏
1月17日と言うのは、兵庫県生まれの貴殿にとっては忘れることのない特別な日だと思います。地震発生時は当地でも震度4~5を記録しており、すぐにTVを点けたのですが、神戸だけなぜか震度速報が出なかったのを今も覚えています。震度7が出たのが、地震発生からかなり時間が経ってからでした。(”おはよう朝日です”と言う番組をいつも出勤前にみていました。)
私にとっても1月17日と言う日は、私があの世へ行くまで忘れることのない日になってしまいました。地震発生の日と言う事と、父の命日と言うのが偶然にも同じ日になってしまいましたが、あれからもう1年とは、早いですね。まだ玄関のドアを開けると父がそこにいるような錯覚を覚える時があります。まだ心の片隅に父の姿が残っているんでしょうね。
一応喪が明け、普段の生活に戻りましたが、その間に母が体調を崩して入院と言う状況になってしまい、少々心配な部分もありますが、この先も見守って行こうと思っています。
喪が明けたらお参りしようと思っていた神社への参拝に行けるのが少し嬉しい気分です。家の神棚も開放しようと思っています。
私の場合は20年ほどの前の実父との別れに始って数年前の義父とのお別れまで間を置きながら訪れましたので、喪失感を癒やす時間を持つことができました。
立て続けだと精神的なダメージが大きいとお察し致しますが、前を向いて何とか乗り越えられようとされているのが素晴らしいです。
1月17日は私にとっては何と言っても阪神淡路大震災です。
私は既に東京に住んでいて被害はありませんでしたが、私の実家はまともに被災しましたし、生まれ故郷の街もまるで空襲にでも遭ったかのように崩れ去ってしまい、景色が変わってしまいました。(私が実家の救援のために現地に行ったのが地震の4日後だったと思います)
横倒しになった高速道路は私が通った小学校の直ぐ傍です。
古い友人の中には命を落とされた方も居ます。
私がプラモデル作りに出戻ったのも1.17がきっかけです。
一生、忘れられない日です。