島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

夏休みの旅3:倉吉の2

2011-09-20 | 
      
 昔々、松江の友人宅を訪ねた帰り、この倉吉で汽車を降りて、郊外の関金温泉に泊ったことがあります。
今倉吉に立って、「なんでJRも通ってない関金温泉になんか一人で行ったんだろう?」と考えてみると、昔は倉吉線という支線があって、関金温泉までも倉吉から汽車で行けたようです。
 それで車も乗れなかった頃、三朝温泉ではなく関金温泉を私が選んだ理由が判りました。
 その時乗ったであろう、今は廃線になってしまった国鉄倉吉線を記念して作られたのが
    くらよし鉄道記念館
小さな小さな記念館で、自分で電灯のスイッチを入れて入ります。
当時の駅舎の写真や、実物のジーゼルカーが陳列されていました。
もちろんその当時は、こんな乗り方ではなく、ちゃんと客車に乗ったと思います。
     
 倉吉の白壁土蔵の町並みと言っても、そう大きく長いものではありませんが、全体にゆったりとしていて、駐車場は無料・どの施設も入館無料・無料のレンタサイクルまでありますので、のんびり廻れる町です。
 倉吉の地名も、「暮らし良し」→「くらよし」からとの説も有ると説明を受けました。
      
 江戸時代の豪商淀屋(自分の店に入る為に作った橋が、今も地名に残る淀屋橋)の本家筋にあたる商家を倉吉市が買い取って観光施設にした
    倉吉淀屋
無料ですし、案内の人が私たち3人の為に、長い時間丁寧に熱心に説明してくれました。
 この興味深い説明によると、淀屋は日本でも一・二を争う豪商で(武家が借りていた借金だけでも100兆円以上とのこと)、それ故に江戸幕府によって關所(財産没収)の憂目にあいましたが、倉吉淀屋と連携して再興、また大豪商になったそうです。
しかし幕末には、幕府から受けたこの処置の恨みをはらすためか、大阪の淀屋も倉吉の本家もその財産のほとんどを、討幕運動の費用として朝廷に献上して、歴史からその姿を消すと言う大胆な行動をしています。
その最後の過去帳に、「世代万々歳」と言う謎の言葉が残っていたようです。
  NHKの歴史秘話ヒストリーの材料にもなりそうな話ですね。

   返事
前回のあんふぁんさん:ご無沙汰です。
    「絵に描いたような幸せ」ではなく「絵に描いた餅のような幸せ」ぐらいです。
    三朝温泉の露天風呂は、それが有り得る様な露天風呂でしたね。
花水木さん:心配になって調べましたが琴桜関、4年前に亡くなっています。
コメント (1)
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