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五瀬命(イツセノミコト)は神武天皇の長兄です。
二人は日向の国(宮崎県)の高千穂の宮にあって、国を治めていましたが、東征することを決めて日向の国を出発、分かり難い写真の地図のように、宇佐・筑紫・安戟E吉備と瀬戸内海沿いにゆっくり東上、大阪湾に到りました。
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ここでこの地に住むナガスネヒコの軍と戦い、敵を太陽の方向東に置いたために敗れてしまいましたので、ぐるっと南紀を廻って紀伊半島を縦断して、大和に到らねばならなくなりました。
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この大阪湾難波の戦いで、長兄の五瀬命は手に矢傷を負い、南紀へ向かう途中の和歌山近くの男之水門(オノミナト)で、その傷が悪化したためあっけなく亡くなりました。
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墓は和歌山県竃山(カマヤマ)にあるとの記述のごとく、和歌山市の東の方にありました。
昨年和歌山に1泊旅行したのは、ャ泣gヨーロッパや和歌山城に行くのが真の目的ではなく、この竈山陵に行くのが目的でした。
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五瀬命を祀ってある竈山神社はナビですぐにわかりましたが、その真裏にあった御陵はちょっと迷いました。
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以前に訪れた人のブログ写真では、中の方まで行けたようですが、今はここまで。
長兄なのに末弟の神武天皇に仕えていた五瀬命は、東征途中で死んでしまいます。
なんでこういう話を古事記に入れなければならなかったのか、必ずしも長男が家長に成るのではないことの教訓として挿入されたのでしょうか。
返事
花水木さん:私の手書きも、皆からは「読めない」と、不評です。