そもそも天皇陵巡りを始めたのは、50歳を過ぎた頃に、おのれの記憶力の衰えを自覚し、記憶力のトレーニングのつもりで、通勤電車の中で懸命に歴代天皇124人の名前を、戦前の小学生のように覚えはじめたのが発端です。
どちらかと言えば、反体制・反権力・左翼系として、人生を過ごしてきましたが、せっかく覚えたのだからと、平成15年頃から天皇陵巡りを開始しました。
しかしながら、突然奈留島に行こうと思ったため、天皇陵巡りは半分ぐらいで頓挫してしまいました。
昨年島から京都に戻ったため、また、奈留島で始めたブログのネタとして、天皇陵巡りを再開してブログで記録しておこうとしている次第です。
前回も集めていた陵印を、今回も貰っていますが、せっかくの陵印を2.綏靖 3.安寧 4.懿徳と掲載を忘れていたので、ここに三つ並べて掲載します。
今回の第5代孝昭天皇(コウショウ)は、第4代懿徳天皇(イトク)が妻のイヒビヒメノミコトに産ました長男の方の御真津日子訶恵志泥命(ミマツヒコカエシネノミコト)です。
孝昭天皇は今の奈良県御所市である葛城の掖上(ワキノカミ)に宮殿を作って天下を治め、古事記では93歳で崩御しています。
第5代孝昭天皇の陵である掖上博多山上陵(ワキノカミノハカタヤマノエノミササギ)は、JR御所(近鉄御所)駅から南へ1㎞程、1~4代の天皇陵があった橿原からは南西に5㎞ほど離れて有りました。
第5代孝昭天皇陵の陵印です。
陵印は今では各陵にあるのではなく、奈良地区はまとめて、神武天皇陵にある宮内庁の畝傍陵墓監区事務所にあります。
孝昭天皇陵は微妙に正面に廻ることが出来ないので、せっかく来たのに、横から写真を撮るしかありませんでした。
陵のすぐ横には小さいながら孝昭宮と言う神社もありました。
神社参道を上って行くと、小さな社があって、そこから陵の墳丘を眺められましたが、住宅街の中にある小さな丘ぐらいにしか確認できませんでした。
返事
花水木さん:そんなに忙しくない仕事が多いですし、
金・土・日はだいたい三連休で、これを楽しみに生きています。