島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

今城塚古墳

2018-01-07 | 天皇陵巡り番外
  
 4日初出勤後また4連休の今年のお正月もそろそろ終わりかけ、あと一つ新年会を残すだけになりました。
 2回目のブログは、天皇陵巡りから始めるのも読者をなくすようで、かといって正月の話題では私の気持ちも表現できず。
と言うことで、昨年書き残した天皇陵巡り番外編で妥協というかお茶を濁します。
 高槻市、ここにある大きな今城塚古墳(イマシロツカコフン)は、ほぼ第26代継体天皇陵と思われますが、宮内庁がこれを治定しなかったので、誰でも入れるどんな調査も出来る巨大前方後円墳になっています。
  
 昨年12月、天皇陵巡りの番外編としてここを訪問しました。
宮内庁に治定された天皇陵なら、この外堤に拝所があって、目の前の空濠になってる外濠越しの内堤と、その向こうの見えない内濠越しに、前方部を見るだけに終わってしまいます。
    
 しかしここでは、内堤の上にこの様に立つことが出来、再現されてる多数の筒型はにわが並べられた向こうには、内濠も充分見渡せます。
  
 しかもここは、前方部にも後円部にも登ることが出来ます。
戦国時代には城として使われたり、伏見大地震で地滑りを起こしたので、後円部は削られ、石室や石棺などはまったく判りませんが、いつもは外から眺めるしかなかった天皇陵を、その墳丘に足を付けて、内から内堤や内濠を見てると、さすがに私もちょっと感極まってしまいました。
  
   
 内堤の上には、埴輪祭祀場として発掘された大きな形象埴輪のレプリカが並べられていて、なかなか壮観で、その技術力にびっくりしました。
でも、これより700年ぐらい前に兵馬俑を作った中国も、昔はすごかったですよね。
  
 この古墳の横には、今城塚古代歴史館が建てられていて、無料で見学できました。
   
 出土した巨大な家型はにわなど、本物が並べてあって、写真撮影も許されて、ボランティアの人が丁寧に説明してくれました。
  
 マンツーマンで説明してくれたボランティアの人と話していると、なんと私の小学校の先輩で、同級生の親戚でもあり家も近いことが判明、奇跡の出会いでした。
   
 写真左の方に写っている宮内庁治定の次の回の継体天皇陵を巡って、右の方の今城塚古墳まで歩いてきたのですが、もう少し山側には、藤原鎌足の墓と言われる古墳もあるようで、その話も熱心にしていただいたので、興味深く楽しかったです。
 先輩、どうもありがとうございました!

      返事
花水木さん:おめでとうございます
     暮れの富士山女子駅伝で、富士山型コーンをたくさん見ました。
     最後は1週間ぐらいちょっと苦しんで、死ぬなあと思ってから死ぬのが、私の理想です。
大雪男さん:おめでとうございます
     元伊勢からその奥の眞名井神社に行く途中に、ユースを見た気がしています。
    元気に安全に山して下さい。

コメント (2)
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