島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

W杯の帰り

2019-10-24 | 
 
 W杯準々決勝イングランド対オーストラリアが終わったのは18時過ぎ、ゆっくり目に余韻が残る競技場を出て帰途につきましたが、余裕を持って取っていた大分駅からの特急シーガイヤにもなんとか間に合ったぐらい、バスを待つ行列が長くなっていました。
 北九州小倉の先の黒崎のビジネスホテルに着いたのは11時を過ぎていました。
風呂入って、ぐっすり寝て、翌朝の黒崎駅前、九州なので井筒屋がありますが、もうこの駅前に来ることはないでしょうね。
 
 親子孫3人で小倉まで出て、小倉城を見学。
40年ほど前に家族で一度来ていますが、こんな大きな立派な天守閣があった印象は全くなし、小さな隅櫓の中を歩いた記憶は、別の城の記憶だったんでしょうか。
 
 丁度城まつりをしていて、アンケートで岡山の桃プリンを貰いました。
さすが九州、小さな剣道大会も開催されていました。
 小倉細川藩初代城主は、細川ガラシャ夫人の夫の細川忠興(タダオキ)でした。
 
 最近のお城見学は、城内にいろいろな人形を並べたり、電気仕鰍ッの表示など、工夫をこらしているので、大人も子供も楽しめます。
 私は休憩してるのではなく、軍議に参加しているのですよ。
 
 
 小倉駅前のビル内に北九州市漫画ミュージアムがあるのを息子が見つけ、行ってきました。
魔夜峰央(マヤミネオ)の原画展をやってました。
最近は「翔んで埼玉」で再ブレークしてますが、私にとっては息子たちと読んでいた「パタリロ!」ですね。
 
 松本零士は小学生の頃から北九州市で育っていたことを知りました。
結構たくさんの漫画家を、北九市は産んだり育てたりしてるようで、それで漫画ミュージアムも出来たんですかね。
 
 久しぶりにその名を聞いた関谷ひさしさん、北九州市生まれで、その仕事場が展示されていました。
 ご存知ですか!「ストップ!兄ちゃん」。
私にとって小学~中学時代の野球漫画の最高峰は「背番号0」「スメ[ツマン金太郎」と、このややコミカルな関谷ひさしさんの「ストップ!兄ちゃん」でした。
一番ハヤイが内野ゴロでも俊足で出塁、二番タコがファールばかりで粘って最後に打ち、三番が小さい子で必ず四球、そして満塁でまわってきた兄ちゃんが満塁ホームラン、と言う話でしたね。
 
 望月三起也の「ワイルド7」の原画展も開催されていました。
 
 
 大学生の頃よく読んでました、かっこいい漫画でしたね、その後に出た違う作者の「パイナップルARMY」も思いだします、私は武器も好きでした。
 
 小中学校時代の少年漫画、高校大学時代の「カムイ伝」「ゴルゴ13」、息子たちと楽しんだ「Dr.スランプアラレちゃん」「スラムダンク」など、私の漫画人生も危うかったですが、今は読む機会に恵まれていませんね。
 こうして日曜の夕方には無事京都に帰りましたが、夜に日本はデクラークに負けてしまいましたね。

      返事
花水木さん:私の子供の時の方が、
    可愛くてしっかりしてた気もしますが。
     飲みに行くと、
    生ビール1杯、そしてあとは薄めの焼酎の水割りが私のペースです。
     今はあつかましい限りですが、
    ラグビーをしてた頃は、私もシャイでした。
大雪男さん:スクラム自体はまずまずでしたが、
    モールで押されすぎ、ラインアウトで獲れなすぎでしたね。

コメント (2)
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