閑院宮典仁親王(カンインノミヤスケヒトシンノウ)(1733~1794)は第113代東山天皇の孫にあたり、世襲親王家の閑院宮第2代当主でした。
私の母校の目と鼻の先にある盧山寺境内の南側に、盧山寺陵に行く参道が始まっていました。
その参道を左に曲がって進みますが、右側が賑やかな河原町通とは思えない静寂さが有ります。学生時代は近所なのに、恥ずかしながら全く知らない所でしたね。
典仁親王は伯父にあたる第114代中御門天皇の第5皇女成子内親王(フサコ)(1729~1771)を妃にむかえましたが、その妃の侍女であった岩室(大江)磐代(イワムロイワシロ)(1744~1812)を寵愛し5人の王子をもうけています。
その王子たちの一人、第6王子祐宮(サチノミヤ)が第119代光格天皇(1771~1840)(在位1779~1817)になってしまいました。
写真は盧山寺陵正面で、急に開けた感じで、ガランとした内部も丸見えの御陵です。
息子の光格天皇は、父典仁親王に太上天皇の尊号を贈りたいと思いましたが、時の老中松平定信に反対され、断念せざるを得ませんでした。
これが前々回に紹介した1788年の尊号一件です。
典仁親王は尊号を得られないまま亡くなりましたが、その90年後に玄孫(ヤシャゴ)である第122代明治天皇によって、明治17年(1884年)に慶光天皇(キョウコウ)を追贈され、この盧山寺陵(ロザンジノミササギ)(上京区河原町広小路上ル)に葬られました。
陵正面まっすぐ奥にある写真の石塔がそれだと思います。まだ出来て140年ぐらいでしょうね。
盧山寺陵の制札には、慶光天皇妃成子内親王墓を始め沢山の名前が並んでいますが、次期光格天皇を産んだ大江磐代の名前は有りませんので、次回に。