島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

119-2光格天皇皇后欣子内親王

2023-04-11 | 天皇陵巡り

 ショッピングモール内のケーキ屋さんで頼んだ苺シリーズ、家内は苺のショートケーキ、私はもっと柔らかい苺のムースです。

今回も後月輪陵(ノチノツキノワノミササギ)です。

 第118代桃園天皇の唯一の子である第1皇女欣子内親王(ヨシコナイシンノウ)(1779~1846)の母は女御の近衛維子(コノエコレコ)(1760~1783)ですが、父天皇は22歳で母も24歳で亡くなっています。

  写真の門は月輪陵と後月輪陵に共通と言うことに成ります。

 傍系から迎えられた第119代光格天皇(1771~1840)(在位1779~1819)に、予定通り1794年に入内し第3・7皇子を産んだ欣子内親王ですが、二皇子とも夭折してしまい、本家筋の第114代中御門天皇系の血は途切れてしまいました。

  塀の中を覗いても月輪陵と後月輪陵を分ける境は無いようです。

 典侍勧修寺婧子(カジュウジタダコ)(1780~1843)が産んだ第4皇子寛宮(ユタノミヤ)を実子として公称し、その子が第120代仁孝天皇(1800~1846)(在位1817~1846)となったので、欣子内親王は皇太后となり、夫光格上皇も見送った後に68歳で亡くなり、後月輪陵(東山区今熊野泉山町)に葬られています。

  制札には光格天皇皇后欣子内親王後月輪陵とありましたが、次の天皇を産んだ実母勧修寺婧子の名は有りません。(内親王に遠慮したのか、天皇母でしたが後月輪陵には入れず、泉涌寺内の雲龍院に光格天皇後宮東京極院藤原婧子として墓が有ります。新型コロナで閉鎖されてたこともあって、又私も欣子内親王に遠慮して、そこには行けませんでした。)

コメント (6)
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