島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

東海道13.

2024-12-20 | 京都へ、京都から

 小川さんの地図に戻ります。

青線の東海道が日ノ岡峠にかかる蹴上でゆっくり右にカーブしていますが、ここで近くに赤線で示したインクラインの話をします。

 京都府3代目知事北垣国道(クタガキクニミチ)(1836~1910)・青年技師田邊朔郎(タナベサクロウ)(1861~1944)・測量技師嶋田道生(シマダドウセイ)(1844~1925)などによって、1885(明治18)年水車動力・水運・かんがい・精米水車などの多目的な効用をはかるために、琵琶湖疏水開削工事が着工されました。

(東海道線大津~京都間は、少し遠回りですがすでに1880(明治13)年に開通していたのですがね)

1890(明治23)年琵琶湖第1疏水は通水を開始しました。

 春の桜の季節には、ここをレンタル着物で歩く観光客であふれてるインクラインの写真ですが、線路は上下するので元々は複線のはずです(上下内側の線路だけ残してるのかな)。

横を落下してる水は、最初はインクラインの動力の水車に使うための水だっと思いますが。

 琵琶湖疏水によって運ばれてきた舟は、ここ蹴上で生じた高低差を、インクライン(傾斜鉄道)を作ることにより、その舟のまま運航出来るようにしているのです。

すなわち、地図にもあった蹴上舟溜と南禅寺舟溜間、長さ582ⅿ(インクラインとしては世界最長)落差36ⅿを、水中ドラム(巻上機)で2台の台車をケーブルカーのような方法で上下させるのがインクラインです。

 写真の蹴上舟溜では、水中にある滑車によってこのまま台車は水中に沈み、舟をすくいあげるように台車に乗せて、そのまま舟は坂を逆に線路に沿って降りていく仕組みです。

 台車に乗せられた舟は、積み荷ごと約10~15分ほどで上下していたようで、1年後に蹴上水力発電所が完成したので、この装置も電力で動くようにすぐに改良されました。 

 台車は写真奥の南禅寺溜の水中に突入し、舟は何事もなかったように岡崎から夷川舟溜を経由して、1894(明治27)年に完成した鴨川運河(約8㎞)を下り、伏見まで行けるようになりました。(そのまま宇治川~淀川を経て大阪までも行こうと思えば可能です)

 1911(明治44)年には琵琶湖疏水の渡航客は年間13万人もいましたが、1915(大正4)年には京阪電車や京津線の開通によって渡航客は3万人まで激減しました。

しかしながら貨物輸送は、1925(大正14)年には史上最高の22万3千トンが、1日150隻以上の舟で運ばれていたそうです。

1951(昭和26)年(私が生まれた時は琵琶湖疏水の荷物輸送は現役だったんですね)に水運は廃止され、現在の琵琶湖疏水の目的は、ほんの少しの水力発電以外は水道水の確保だけです。

 でも最近は観光船が琵琶湖疏水を走るようになりました。五島列島に行ってからは船の旅はもういいねと言っていた家内ですが、それでも松江城や富山城の掘割や柳川の船下り、北山川の筏下りさえも喜んでいたので、元気ならきっと行きたいと言うでしょうね。

 蹴上浄水場に水を送った後、疏水の水の一部は、サスペンス物の舞台でも有名なこの水路閣の上を流れて、哲学の道に沿って北上し、自宅近くの松ヶ崎浄水場まで、疏水分線として水を供給しています。

 長くなりましたが、Toitenlaさんのコメントにも答えられたと思います。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする