日ノ岡峠を越えて下り坂の途中の道端に、旧舗石車石が飾ってありました。
東海道に限らず江戸時代の街道は、車(荷車)の往来が禁止されていたんですが(徳川幕府は大量輸送を嫌ったようで、川にも橋をかけませんでしたし、荷車などで大量兵器や兵員が輸送されるのを嫌がったようです)、都に近い京都~大津間は例外で許可されていたようです。
江戸時代後期には、東海道京都~大津間の峠道には、牛車が通るための車道(クルマミチ)として、花崗岩を敷き詰めた道が造られましたが、初めから溝が彫られていたわけではなく、長年の通行で自然に溝が出来たようです。
輪形石と言われていましたが、昭和になってから車石(クルマイシ)と呼ぶようになったそうです。
1車線しかない歩車分離道であったので、午前は京都から、午後は大津からの一方通行の車道だったようです。ちなみに馬は歩道を行きます。
時々使ってる自転車駐車場に下りる坂の写真ですが、自転車を押して通るだけなのですが、こんな風にタイヤが当たる部分は擦り切れてきています。
花崗岩が荷車の重みですり減るのは、むべなるかなですね。
三条通から旧東海道に別れる手前の広場に、荷車らしき模型が飾られていました。
こんな車を、人が押したり牛に引かせたりして運んでいたので、雨の後などのぬかるみの坂道を通る牛は、たまったもので無かったでしょうね。
車石を敷き詰めたのは、すごい技でしたね、地道から高速道路を走る以上に早くなったと思います。
これが車石、しかしこれを京都~大津間約10㎞に敷き詰めるのもなかなか大事業ですし、部分的にへこんだりずれたりして、維持管理もしなければならなかったと思います。
現代に生まれて良かったですよ。