島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

東海道17.

2025-01-24 | 京都へ、京都から

 地図左端の青○、車石の展示してあった広場からすぐに右手、青線に沿って旧東海道が残されていますので、赤破線の現代の東海道三条通から離れて進みます。

小川さんの地図は分かりやすいですね。

 分かれ道から旧東海道に入ると、まだ新しい旧東海道の石柱と案内板(旧東海道日ノ岡の峠道)が立っていました。

 木食正禅上人(モクジキショウゼンショウニン)が1734(享保19)年から1738(元文3)年にかけて、深くえぐられた峠の車道に土砂を入れて段差をなくしたり、峠の頂上を掘り下げて緩やかな勾配にするなど、改善工事をされたようです。

 大きな民家の軒先に、山科牧畜場牛乳搾取所 明治24年認可 京都府宇治郡山科町日岡 などが書かれた看板を見つけました。

こんな所で明治には乳牛が飼われていたのですね。

横の牛乳瓶入れには、母校の京都府立大学病院御用達と書かれていましたので、何となく嬉しかったですが、ここで飼われていた乳牛から搾った牛乳は、実際は東福寺にある京都第1日赤病院に主に納入されていたようです。

 少し家は建っていますが、今でも車のすれ違いがぎりぎりぐらいの旧東海道らしい道が、この辺りは続いています。

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