島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

9-1開化天皇

2017-05-19 | 天皇陵巡り
 
 私の長男は奈良に住んでいますが、そのマンションの部屋からは、奈良の中心街と若草山が眺められます(以前ここから若草山山焼き報告しています)。
 そのちょうど手前にこんもりした小山がありますが、これが今回の第9代開化天皇(カイカ)の春日率川坂上陵(カスガノイザカワノサカノエノミササギ)です。
  
 初代神武天皇から第8代孝元天皇までの陵が畝傍山麓から葛城山麓一帯、すなわち奈良盆地の南の西の方に位置しているのに比べて、第9代開化天皇から5代(350年ほど)は奈良盆地の北の方に陵が移ってきています。
このことからも、葛城王朝から三輪王朝に王朝交代があったとの説があります。
  
 古事記では若倭根子日子大毘毘命(ワカヤマトネコヒコオオビビノミコト)、書紀では稚日本根子彦大日日尊(ワカヤマトネコヒコオオヒヒノミコト)と記されていて、都を春日率川宮(カスガノイザカワノミヤ)(奈良市)に移して、第9代開化天皇として天下を治めました。
   
 第9代開化天皇は4人の妻で5人の子をもうけました。
その内一人の妻は、父親の第8代孝元天皇の妻でもあった人で、継母を自分の妻にしたことになりますし、その継母との間に産まれた子が、次の第10代崇神天皇になっています。
  
 第2代綏靖天皇からこの第9代開化天皇までの8代の天皇は、古事記でも内容が少ないため「欠史8代」と言われ、実在してない天皇と言われています。(まあそれ以外の古い時代の天皇が皆実在してたとも言えないのですが)
 この8代の在位年数を足すと485年(1代60年)、紀元前660年を日本の始まりとした人々は、なんとか年数を合わせようと485年分の8人を造り出したのかもしれません。
私はこの8人はまったくの架空の人物ではなく、それらしき人の話を元に作り上げた天皇だという説に賛成しています。
 
 奈良と言えば、大仏さんと鹿しかいないと悪口を言われ、最近ではTVで紹介されて有名になった速射砲のように餅を搗く店を加えても、三つだけと言われています。
この開化天皇陵は、観光客が集まるその餅屋さんのほぼ向かい、名の通ったホテルの横にありますので、歴代天皇陵の中では一番人通りの多い場所にあるはずですが、ここまで入ってくる人は少ないようです。

      返事
花水木さん:女は自分が苦労した事は、
    細かいとこまで覚えています。
    でも、男は楽しい思い出しか覚えていません。
     偏見ですかね?

コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 8-1孝元天皇 | トップ | 海北友松 »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (花水木)
2017-05-21 07:23:04
なんか・・・鋭いです。
言われてみればその通りで、うちの長男が生まれそうな時、初産は時間がかかるだろうと、陣痛で苦しむ私を置いて夫は鮎釣りへ。
夕方まで、飲まず食わずで、やっとこさ、病院へ。
未だに根に持ってます。生まれた時にはパチンコしてたらしいいです。

古事記に出てくる人名は、同じ読みが続いたり、やたらにノが多いですね。そして、相関図も驚愕です。
継母と夫婦って・・・。
返信する

コメントを投稿

天皇陵巡り」カテゴリの最新記事