好きな人でも、名前が覚えられなかったり、難しい読みで読めなかったりする人がいます。
私的には、知の巨人と言われた南方熊楠(ミナカタクマグス)と、今回の画家甲斐荘楠音(カイノショウタダオト)(1894~1978)です。
25年前に、同じ京都国立近代美術館で開催された 大正日本画の異才ーいきづく情念ー甲斐荘楠音展 に行ってびっくりしたあまり、何を気に入ったのか、いつもは買わないこんな豪華な図録まで買ってしまっていました。
写真のように地下鉄の吊りポスターでも宣伝していた、今回の 甲斐荘楠音の全貌 展を、暖かい陽気に誘われて、先週は行ってきました。
1897年(明治27年)に京都市中京区で生まれた楠音は、大正から昭和の初めにかけて(20歳から30過ぎまで)、モナ・リザの微笑に魅了されて、独特の美人画を書き続けたようです。
私は大正8年ごろ(26歳)に書かれた、この「女の顔」の表情が気に入っています。
83歳で1978年(昭和53年)に亡くなっていますが、東映時代劇全盛のころの衣装などを担当して、「旗本退屈男」や「新吾十番勝負」など、私も小学生の頃に夢中になった映画にもかかわっていたので、その衣装やポスターの展示もあって、懐かしかったです。
大正時代の髪型も、女の人の表情も。
女の顔のモデル、友達の妹で、楠音も気に入ってたようですが、かなり年上な人に乞われて嫁に行ってしまったようです。
気に入ってます。