
11. わたの原 八十島かけて こぎ出でぬと
人には告げよ あまのつり舟
参議篁(802~852)
参議小野篁(オノノタカムラ)は遣唐副使となりましたが、出航時の揉め事で乗船を拒否した為、流罪になり隠岐へ流されました。
この歌はこの時に詠んだ一首ですが、その後は許され、又京都に戻されています。
背が高かった(190㎝近く)せいか、京都では六道さんの井戸から地獄に降りて、閻魔大王の補佐をしていたと言う話があります。

11. わたの原 大漁かけて こぎ出でぬと
人には告げよ 奈留の網船
わたの原・かけて・こぎ出でぬと・人には告げよ・の・船 24字同じ
そのままの部分が多い為に24字も同じに成りましたが、写真が綺麗なだけに、替え歌としては写真に負けているまあまあの出来。
夕方3時から6時にかけて(日の長くなる夏にはフークと夕方の散歩の頃に丁度)、浦湾から出航するまき網船を見ることが出来ます。
満月で海面が明るいと漁が出来ないので、満月の頃は月夜間(ツキヨマ)と言って、漁はお休みです。
まき網船はなやかし頃の名残りで、今でも島の行事(運動会やスメ[ツ大会)は、この月夜間の間に行なわれることが多いです。

奈留島のまき網船団の漁は日帰り出来る範囲に限られているので、すぐ帰って来るせいか見送る家族の姿は見たことありません。(島でまき網船団を見送るのは、私と家内とフークだけ)
それほど大きな船団でもありませんが、その分その日に獲った魚をその日に降ろすので、新鮮で美味しい魚になると思います。
青色の船体の母船と、海中に灯を入れて魚を引き寄せる火船、獲った魚を運ぶ運搬船、母船から降ろしたまき網を引っ張っていく船とで、1船団五艘ぐらいです。
最近は魚が獲れず、苦しい戦いが続いているようで、心配です。
返事
花水木さん:思いもかけない「そして」で褒められて、
「泣いてどうなるのか

花水木家の庭は椿園ですね!すごい!「夢の続き見せて・・・」下さい。
大雪男さん:こちらでも洒落たなんて褒められて、もう「と」は使わずに、
いつも「そして」でいきますよ。
喜珍さん:当たりです!まさにご指摘の椿です!すごい!!
奈留島の木は全て把握されているんですかね!
「枝変わり」と言うのがあるんですね!