12. 天つ風 雲のかよひ路 ふきとぢよ
乙女のすがた しばしとどめむ 僧正遍照(816~890)
豊明(トヨノアカリ)の節会(セチエ)で舞った五人の乙女へのアンコールの歌のようで、作者の僧正遍照は俗名良岑宗貞(ヨシミネノムネサダ)、桓武天皇の孫になります。
宝塚歌劇団には百人一首から貰った喧シのスターがいますが、この歌からの歌劇団スターが「天津乙女」と言うことは私でも知っていましたが、天津乙女の妹も宝塚スターで、「雲野かよ子」と言うそうですよ! ワオー!!
百人一首なんて京都から遠く離れた奈留島と何の関係もないと言われそうですが・・・。
空海の甥と言われ三井寺の天台座主までいった入唐八家の一人 智証大師円珍(814~891)の書「円珍書状」(金釘流の下手な字としか思えませんが国宝です)は、彼に師事していたこの歌の作者僧正遍照への返信だそうです。
「それがどうした!?」と言われそうですが。
この円珍さん、遣唐使として入唐の際に、なんと奈留島に寄港しています(853年7月)!!
泊か夏井の井戸水を飲んだはずですよ!!!
昔々、確か漫画トリオの「天つ風~、余った風はどこへ行く~」とか言う漫才があって、それでこの歌を憶えましたが、その歌が奈留島と結ばれていたことを今回知って、嬉しい限りです!
12. 天つ風 船のかよひ路 ふきとぢよ
家内のすがた しばしとどめむ
天つ風・のかよひ路・ふきとぢよ・のすがた・しばしとどめむ 26字も同じ
いつもは吹くと困る海風も、今回ばかりは京都へ帰る家内の船が欠航するぐらい吹いてくれ、そうすれば又家内と今晩も過せるから。
と願う作者の気持ちがよく出た秀歌。
その気持ちに免じて、私的になりすぎたことをお許し下さい。
返事
和さん:若い時からコツコツ集めていたら、なんでも結構貯まっていたのに、
と今更悔やんでも仕方ないですが・・・。キリギリス性格です。
花水木さん:奈留に来てから毎年礼状を出すようになりました。
筆不精も大分直ってます。やっぱり寂しくて繫がりたいのですね。