秋の一日、富江近くの地蔵坂の展望所から富江の中心街を眺めます。
右の台形の山が只狩山、富江病院はその麓近くにありますし、私の住所は富江町狩立。
たぶん最初の写真と同じぐらいの場所から眺めた、昭和の初めか大正の頃の富江。
その頃の燃料は薪のため、只狩山ははげ山ですし、病院どころか人家も只狩山周辺には少なそう。
今度はその只狩山から見た昭和10年頃の富江です。
鯨漁とか珊瑚漁とかでまだ栄えていた頃か、今より多いぐらいの家並です。
今の只狩山からだいたい同じアングルで見下ろした富江の町並み。
富江病院は画面左下の木々の向こうぐらいに隠れていますし、埋め立て地も増えてる感じです。
只狩山は標高84ⅿ、この展望台からは富江湾や、逆方向の黒瀬の津多羅島まで見渡せます。
富江の60kmほど南の沖に浮かぶ男女群島周辺では、明治の頃より珊瑚漁が盛んで、富江の町はイタリア人が来るほどこの珊瑚で潤っていたそうです。
明治末にはこの珊瑚漁の舟が台風にやられて、2年続けて1000人近い死者を出す海難事故が起こっています。
この事故などを新田次郎さんが「珊瑚」という小説にしていますので、富江の人もそうでない人もぜひ読んで下さい。
只狩山の上にあるこの「珊瑚之碑」はこの小説を記念して作られましたが、7~8年前に奈留島からここに上がった時には、この丸い穴に珊瑚の観音様があったと思いますが、誰かに盗られたようですね。
返事
花水木さん:少年~青年時代の秋の空は、甘酸っぱく切なかったですが、
老年期の秋の空は、酸っぱいだけの切なさで見上げています。
大雪男さん:家内はそれほど脚軽くはないようですし、
体も軽くないです。
和さん:松ヶ崎で夕食、「ピノ」ですかね?