島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

富江町只狩

2015-11-06 | 富江
 
 秋の一日、富江近くの地蔵坂の展望所から富江の中心街を眺めます。
右の台形の山が只狩山、富江病院はその麓近くにありますし、私の住所は富江町狩立。
 
 たぶん最初の写真と同じぐらいの場所から眺めた、昭和の初めか大正の頃の富江。
その頃の燃料は薪のため、只狩山ははげ山ですし、病院どころか人家も只狩山周辺には少なそう。
 
 今度はその只狩山から見た昭和10年頃の富江です。
鯨漁とか珊瑚漁とかでまだ栄えていた頃か、今より多いぐらいの家並です。
 
 今の只狩山からだいたい同じアングルで見下ろした富江の町並み。
富江病院は画面左下の木々の向こうぐらいに隠れていますし、埋め立て地も増えてる感じです。
 
 只狩山は標高84ⅿ、この展望台からは富江湾や、逆方向の黒瀬の津多羅島まで見渡せます。
 
 富江の60kmほど南の沖に浮かぶ男女群島周辺では、明治の頃より珊瑚漁が盛んで、富江の町はイタリア人が来るほどこの珊瑚で潤っていたそうです。
 明治末にはこの珊瑚漁の舟が台風にやられて、2年続けて1000人近い死者を出す海難事故が起こっています。
 この事故などを新田次郎さんが「珊瑚」という小説にしていますので、富江の人もそうでない人もぜひ読んで下さい。
只狩山の上にあるこの「珊瑚之碑」はこの小説を記念して作られましたが、7~8年前に奈留島からここに上がった時には、この丸い穴に珊瑚の観音様があったと思いますが、誰かに盗られたようですね。

       返事
花水木さん:少年~青年時代の秋の空は、甘酸っぱく切なかったですが、
    老年期の秋の空は、酸っぱいだけの切なさで見上げています。
大雪男さん:家内はそれほど脚軽くはないようですし、
    体も軽くないです。
和さん:松ヶ崎で夕食、「ピノ」ですかね?
コメント (3)
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大瀬崎灯台

2015-11-02 | 富江
 
 いつもは展望台からこの写真のように眺めているばかりの大瀬崎灯台、富江に来てからは頻回にここまでは行っていましたが、なかなか灯台までは行けませんでした。
 秋の一日、久しぶり(2回目?・3回目?)に灯台下まで足を延ばしました。
 
 いつもとは逆に、灯台近くから展望台の方向を振り返って撮ってみました。
 
 7年前に家内とフークで奈留島から行った大瀬崎灯台の写真です。
この時の方が灯台周囲はすっきりしていますが、この最後の階段は少し浮「ぐらい。
 
 今の大瀬崎灯台、階段に手すりが付いて、周囲の壁も少し修復されていて、壁の内側に鉄柵も付いていますし、太陽光パネルも設置されました。
これでは「悪人」のロケも出来なかったかも。
 
 7年前の灯台下での記念写真、7年前でも60歳丁度なので、若いか?ではないですね。
フークも7歳で、元気にここまで登ってくれました。
 鉄柵がないのですっきりしていますね。
 
 灯台は高さ16ⅿ、明治12年12月15日初灯も大戦で銃撃なども受けたようで、昭和46年に建て替えられたコンクリート製です。
 人物は高さ1.68ⅿ、昭和23年7月8日出産も世間の荒波を受けたようで、もうじき建て替えたい男性です。
7年前と似たような服装で一人立っていますが、重心が下に下がってる感じはゆがめない事実です。
 鉄柵もやや無粋ですね。
 
 片道1200m、帰りは登りなので予想以上に疲れました。
 木漏れ日の中先を行く家内、キミマロズームならすぐそばにすぐ寄れますが、追いつけそうで追いつけない、寄れそうで寄れないのは日常と同じ。
 
 
 少し件p的に撮ってみました。
最近IAモードにして撮ると黒いシミが出ないことが分かりましたので、今は細長いIAモードでやや小さい写真になってることが多いです。

     返事
花水木さん:ツワブキの群生、やや薄暗い所に多いですが、
    なかなかのものですね。
大雪男さん:九州では阪神の情報は少なめ、
    セは皆弱そうなので、金本に頑張ってもらいたいです。

コメント (4)
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