島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

84-1順徳天皇

2021-04-09 | 天皇陵巡り
 
 母は藤原範季(ノリスエ)の娘重子(ジュウシ・シゲコ)(修明門院)(1182~1264)で、第82代後鳥羽天皇(1180~1239)の第3皇子として生れた守成親王(モリヒラシンノウ)は、異母兄第83代土御門天皇の皇太弟に3歳でなっています。
  写真は昨秋の大原三千院前から陵の方向を撮ってますが、この大原三千院の前をもう少し奥に行くと、実光院の向かい側に御陵は有りました
 
 異母兄土御門天皇はおっとりしており、父後鳥羽上皇は守成親王の才気煥発で俊敏な性格から、この子の方が鎌倉幕府に対しても毅然とした姿勢で臨めると考え、2歳年上の兄土御門天皇を譲位させ、弟の守成親王を14歳で即位させ、第84代順徳天皇(ジュントク)(1197~1242)(在位1210~1221)が生れました。
  ともに遠い島で亡くなった親子は一緒に祀られています
 
 順徳天皇は、女御から中宮になった藤原立子(リュウシ)との間に懐成新王(カネナリ)をもうけ、それ以外にも藤原清季の娘との間に忠成王など、10人以上の皇子女に恵まれています。
 
 ほぼ父後鳥羽上皇の院政下の治世でしたが、その父の討幕計画に加担するために順徳天皇は、わずか4歳の懐成親王に譲位し上皇として身軽になりました。
  写真は御陵の正面です
 
 しかしながら、この承久の乱(1221年)はあっさり頓挫してしまい、佐渡島に配流された順徳上皇には20年にも及ぶ辛い抑留生活が待っていました。
 最後、第5皇子忠成王(タダナリオウ)が第87代四条天皇の急死に依って次期天皇候補に挙がりましたが、惜しくもそれもかなわず、自身の京の都に戻る夢も破れて失望も大きく、食を絶って亡くなり、佐渡島で火葬にふされた後、父後鳥羽上皇と同じ大原陵(オオハラノミササギ)(左京区大原勝林院町)に並んで葬られています。
  左側の円丘部分が順徳天皇陵
 
 順徳天皇は父後鳥羽院や藤原定家の影響もあって、歌の才にも恵まれ、定家の小倉百人一首最後の百首目は、順徳院の歌でしめられています。
  この歌は、マンガトリオの漫才で、繰り返し「ももひきや~」と歌われ、若い時に憶えました

       返事
花水木さん:そこまで宝くじ党を卑下しなくても良いですよ。
    馬券は獲った時に、「なぜ自分はこれを買ったか!」を
    自分に詳しく自慢できると言うメリット?が有りますね。

コメント (2)
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83-1土御門天皇

2021-04-07 | 天皇陵巡り
 
 今年の京都の桜もほぼ終わりですので、不評ではありますが再び天皇陵巡り再開です。
 第82代後鳥羽天皇(1180~1239)(在位1183~1198)の第1皇子で、母は内大臣源通親(ミチチカ)の養女在子(ザイシ)・承明門院(ショウメイモンイン)の為仁親王(タメヒトシンノウ)は、わずか4歳にして第83代土御門天皇(ツチミカド)(1195~1231)(在位1198~1210)となりました。
  阪急長岡天神駅から色鮮やかな長岡京はっぴいバスに乗って、新興住宅街をグルグル回って、高台西で降りたらすぐに、今回の御陵は有ります。
 
 即位直後の1199年源頼朝が亡くなり、息子頼家がその後を継ぎましたが、1204年には謀殺され、鎌倉幕府3代目将軍実朝も1219年に暗殺されるなど、出来たての武家社会も安定しなかった時代です。
 
 そんな中で、父後鳥羽上皇の院政下での土御門天皇ですが、生来温厚で世事には疎かったことから、父後鳥羽上皇はこれでは鎌倉幕府と渡り合えないと、16歳の土御門天皇に、異母弟の順徳天皇に譲位するように迫りました。
この時も、内心は不満ではありましたが、そぶりも見せずに父の意に従ったそうです。
 
 その後起こった承久の乱(1221年)では、土御門上皇は討幕計画に関与していなかったので、乱後に鎌倉幕府が後鳥羽・順徳両上皇を島流しにしたのに対して、特別に罪は問いませんでした。
  御陵を巡ったのは昨年の秋、直角に曲がる参道も綺麗でした
 
 しかしながら、この辺が私がなんとなく土御門天皇に心を寄せる理由でもあるのですが、咎められなかったことを潔しとせず、自らの意思で鎌倉幕府に申し出て、土佐へ続いて阿波に下り、出家した後に徳島で亡くなっています。
土御門天皇火葬塚(徳島県鳴門市大麻町)は、写真のように堀もある立派なものです。
 
 この火葬塚の隣にある、広々とした参道の有る阿波神社の祭神は、土御門天皇です。
 
 鳴門市に火葬塚や神社が有るので、晩年はこの辺に住んでいたのでしょうね。
 
 か弱く真面目そうに見える土御門ですが、そうはいっても15人ほどの妃に20人以上の子をもうけていますし、死後20年経ってその息子の一人が天皇になったので(第88代後嵯峨天皇)、土御門の血は現在の天皇に繋がっています。
そんなわけででもないですが、金原陵(カネガハラノミササギ)(京都府長岡京市金ヶ原)は、京都西南の山すそに、綺麗に存在していました。

       返事
花水木さん:私の人生と同じで、
    競馬の負けは、これぐらい獲り返しても、
    への足しにもなりません。
     宝くじは選べませんが、競馬などの賭け事は、
    考えて考えて、選んで選んで、上手にはずれ馬券を買うという、
    面白さがありますので、ぜひやってみて下さい。
toitennさん:散ったらすぐに次の準備をする桜に負けないように、
    私も、獲れなくてもすぐに、
    次のレースを買う準備をしてます。

コメント (1)
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北の桜

2021-04-05 | 
 
 日曜日の雨で、京都の桜はほぼ終わったようですが、私はやっとGⅠ大阪杯で馬連(1-8)2万円馬券と、あろうことか三連複(1・7・8)も一点買だけで(三連単は順番間違って10万円は獲れてませんが)獲り、他のレースも池添さんのおかげで獲って、我が世の春を謳歌していますし、阪神も明日からの巨人戦までは、まずまず楽しんで観戦出来ています。
 嬉しすぎたのか、今朝の自転車通勤はマスクも着けずに家を出てしまいました。
自転車なのでそのまま診療所まで走りましたが、やっぱりマスクなしで自転車を漕ぐ方が気持ち良いですね!
診療所入り口のサーマルカメラは、熱と同時にマスクを着けてないことも感知するのですね、「マスクを着けて下さい!」と機械に命令されてしまいました。
  途中の葵橋からの賀茂川堤の写真では、桜はもう終わりです
  
 京都の桜は終わりそうなので、土曜日は少し北の方へ、桜を求めてドライブ、と言ってもいつもの滋賀県ですが。
湖北の海津大崎の桜は満開です。
 
 一方通行になってる道を、丁度いいくらいの渋滞で、ゆっくり註カ島など琵琶湖を見ながら、写真は助手席の家内に任して、ドライブです。
花曇りの土曜日でしたが、それもまた良し。
 
 海津大崎はこの週末で丁度満開でしたが、人出はいつもの春よりは少なめか、半分過ぎると道も空いてきて、普通の速度で走らざるを得ないのが残念。
例年はもっと渋滞して、もっとゆっくり花見が出来たはずですが。
 
 中学のスキー遠足で行ったマキノ高原は、今やオートキャンプ場で、結構人が出てましたが、川岸には桜も咲いていました。
 
 通るたびにいつも、「ここの桜が咲いたら綺麗だろなあ」と言っていた、滋賀県高島の安曇川(アドガワ)沿いの桜並木、満開だったのに、思ってたより短い桜並木でした。
 
 朽木(クツキ)の名刹、曹洞宗・興聖寺(300円)にも桜は少しありました。
拝観者は我々二人だけでしたが、丁寧な説明も有ったので、300円は高くなかったです。
 
 第12代足利将軍義晴は都を逃れ、この地に3年半ほど滞在してたので、将軍を慰めようと、ここに旧秀隣寺庭園(足利庭園)を作成、これが今も残っていました。
樹齢500年と庭と同じくらいのやぶ椿や、借景の桜堤も眺められ、「麒麟がくる」で向井理さんの第13代義輝もここに6年程滞在していたので、TVでもそんな場面がありましたね。
 今回の写真、左上のシミはレンズの汚れでした。

        返事
花水木さん:チューリップなど他の花が咲いても、
    綺麗だなあ!だけですが、
    桜が咲くと、人生を振り返ったり、未来を予想したり、
    年とればとるほど、桜は自分自身を考えさせてくれる花なので、
    そこが皆が良いというところなんですかね。
toitennさん:マスクで処理はしてますが、
    実物を見れる機会も作って下さい。

コメント (2)
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伏見の桜

2021-04-03 | 京都
 
 伏見区の老人ホームの庭の枝垂れ桜、4月になって、2日前と比べても豪華になっていました。
1日は老人ホーム新入社員の入社式も有りました。
 
 午前の仕事も終えて、伏見に有る天皇陵巡りも兼ねて、ブラブラと伏見の疎水まで散歩です。
平日ですが、それなりに人出は有ります、桜は日本人を縛りから解放するようですね。
疎水周囲の桜は散り始めていて、少しですが花筏も見られました。
 
 伏見の酒蔵を背景に、桜見物の十石船も満員のようです。
 
 幕末の二つの寺田屋事件で有名な、伏見の寺田屋の庭にも、1本だけ桜がありました。
 
 寺田屋には入りませんでしたが、不二家には入って、ちょっと遅めの今日の昼ご飯は、これにしておきました。
 
 帰って、自宅の小さな庭の小さな桜も満開と思ったら、もう葉が出始めていました。
今年は早いですが、この桜が満開になると、京都の桜もだいたい終わりです。
 

コメント (2)
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3月末の桜

2021-04-02 | 京都
 
 早くも京都の桜は満開以上。
自転車通勤も、近くの松ヶ崎疎水の桜の下を、花見も兼ねて走れます。
 
 外国人観光客に人気になっていた出町の本満寺の枝垂れ桜、今年は満開を観ずに散り始めていました。
枝垂れにしては早く咲くのでしたね、誰もいません。
 
 でも、横のソメイヨシノは満開でした。
 
 午前中の仕事が終わって、帰り道の賀茂川堤は満開。
 
 川の方に枝をのばす桜のトンネル下を、自転車でゆっくり帰ります。
 
 次の日、伏見の老人ホームの庭の枝垂桜は満開ですが、横の桜はもう葉が出はじめていました。
 
 自宅の小さな庭の小さな桜は、ほぼ9分咲きで、ややあつくるしい桜です。

        返事
toitennさん:そちらは丹後、こちらは但馬で
    「へしこまりました」。
    では分からないので、「びいたぬの高速じだんだ日記」で検索してください。
和さん:大乗寺には苦しくなるような階段は無かったので、
    違うのかもしれません。
     平野神社は半分酔った夜桜見物の記憶しかありませんが、
    綺麗ですね。
花水木さん:花水木さんは毎年タカアシガニを食べてるのでは?

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