『山下清画伯の常識と世間の常識 其の一』(読んで・解かったこと)』
ー「日本ぶらりぶらり」に、記録の残し方「事後に思い出したら文章に」と―
以前、日経新聞の読書欄の、エッセイスト・平松洋子氏の『半歩遅れの読書術』の中に山下清画伯を次の様に紹介していました。
長岡の花火を見た時の感動は忘れがたい。
また、その絵と文章には、常に心振るわせられてきた。 山下清は『よくわからないな、へんだなあ』とつぶやきながら49年間生きた。 最後の言葉は『今年の花火見物はどこへ行こうかな』。
『日本ぶらりぶらり』を再読すると目が覚めるような言葉に何度も揺さぶられるがこんなくだりにもにやりとさせられた。 『ぼくは新聞はめったにみないが、ときどきよむと、みんな本当のことばかりではない気がするので、嘘と本当はどのくらいのわりあいに世のなかにあるものだか、わからなくなる。大ぜいが本当だといえば、嘘でも本当になるかもわからないので、世のなかのことは、ぼくにはよくわからないのです。』
『日本ぶらりぶらり』を読んでみると、画伯が印象深く経験したことを詳しく書かれておりました。 この記録の残し方『事後に思い出したら文章にする』、 これからの余生の作文に参考・ヒントになりました。
画伯の日記を見ると、いわゆる『日記』、毎日あったことを、その日付のもとに書き記すというのとはまるで違うことが解ります。 第一、画伯は日記なんぞ別に書きたくもないのに、入園していた八幡学園で命令されて、これが嫌で、飛び出した。 日本中あちこち歩いていた時のことを『思い出し・書き記し』その日付で日記と言われた。 ノートを見開き二ページを書いたら、その日の仕事はおしまい。
文体の面白さは、先ず、二ページが終わるまで、切れないで続き、普通なら句読点『句点“。”と読点“、”』で終わる文が決して『。と、』を打たれない。 接続助詞としての『ので』・・・『ので』と、二ページの終わりまで『ので』でつないでゆく。
ノートの終わりに10日間わたって、難しい、現代の若者には読めない漢字がぎっしりと並んでいる。 例えば、『薬罐(ヤカン)』、『俎(マナイタ』、『炬燵(コタツ)』、『慈姑(クワイ)』『狼狽て(アワテテ)』等。 いわゆる知能指数の問題だけでは処理・解決できない面が多々あります。 (記憶がテキストデータではなくイメージデータなのでしょうか)
それでは、画伯の常識vs世間の常識
❶暑い季節の桜島へ渡った。 大勢の子供たちがパンツも履かないでいた。
自分もそうしたいが、式場先生が『子供だからよいと・・・』、ではいくつまでOK?と聞いた。
➋僕が泣いたことがないというと、皆が不思議がる。 笑うことが下手なので笑わないというと、皆が笑う。
❸生き物はじっとしてないので、描くのは難しい。 犬や猫も描きたいが、動くので、描けない。 これから縛って描いたらおかしいか。(花火は別物か)
❹僕は、なんでも持っているものは着るたちで、寒いときはシャツ5枚に、着物を3枚着たことがある、合計8枚着ると、きゅうくつだったが、あったかで、放浪にはよかった。
政治家を筆頭に、私欲で小利口な人間が多い、今の世相を想うと『純粋さ・人間らしさ』が乏しくなっていることを、山下画伯の『独り言風』記録を読んで、痛烈に気づかされます。
(20170717纏め、其の二に続く、20190223改)