『三角波のこと知っていたと思ったのに、今回のニュースが!』
「合成波で波高8m余の飯岡津波(東日本大地震で飯岡襲った)と三角波」
山男になる前は『海の子』でした、九十九里の東北端の旭市飯岡(旧三川村)で育ちましたので、農家の子が危険な離岸流にのって、沖のタコ漁の漁船まで泳いだ経験(当時の子供たちの間では勲章)がありました。
漁師の方々から、いつも聞かされていたのが『三角波の怖さ』でしたが、海岸で発生する、向きの違う波の交差で発生する小さな三角波などはまったく気にしない無知・無謀な『海の子』でした。 これは、海で泳ぐくらいなら、浅瀬の三角波も沖の三角波も無縁のものと、子供ながら思っていました。
海の辞典『三角波』の解説です.
『進行方向の異なる波がぶつかったときに出来る、峯の尖った波をいう。 進行する重力波の頂は120度より尖らず、それ以上になると砕ける。 しかし定常波 (standing wave)の場合には頂角は90度まで尖り得るため、重複波では波形勾配の大きな波が起こり得る。 風系の複雑な台風の中などでは、規模の大きな典型的な三角波が立ち、非常に危険である。』
朝日新聞デジタル版にありました。 『「奇跡的」世界が称賛、初撮影の三角波 92歳海洋物理学者の写真展』と、昔『海の子』も今は傘寿になり、今回の写真展のニュースは、殺伐とした昨今、明るいニュースでした。
ウエブ情報から引用
先に、南太平洋の島国トンガが海底火山の大規模噴火と津波に見舞われ、その津波の影響が日本の海岸、広範囲に及びました。 三角波・合成波のこと勉強したく、この備忘録に抜粋引用させていただきました。
高さ10メートル超の三角波。 周りの波に比べて異常に大きい。 成因は複雑で、現在も研究が続いている。 観測中に偶然撮影した。 三角波が撮影されたのは世界初=1980年、北大西洋、写真展「海の波を見る」から。
穏やかな波、荒々しい波、美しい波……。 世界を航海して波の観測と研究に打ち込んだ海洋物理学者で、九州大学名誉教授の光易恒(みつやすひさし)さん(92)が初めての写真展「海の波を見る」を福岡市で開いている。 刻々と変化する波の一瞬をとらえた、貴重で不思議な光景が並ぶ。
会場には「波の誕生」「青年期の波」「波齢・波の年齢」などと題した写真十数点が展示されている。
「海の波の一生は、人間の一生と似ている」と光易さん。 風が吹くと、さざ波が誕生し、風からエネルギーを吸収して成長する。 広大な海を悠然と伝わっていき、海岸に達して一気に砕け、終焉(しゅうえん)を迎える。
光易さんは大学卒業後の1952年、当時の運輸省運輸技術研究所に入り、港湾技術に関連して海の波の研究を始めた。 65年に九大に転じると、観測のために本格的に外洋に出るようになった。
船で沖に向かい、加速度や傾斜、位置などを測る機器を海に下ろし、データを集めて解析した。 同時に波を目視でも観測し、写真で記録した。 データからは波高や周期、向きなどは読み取れるが、周囲の海全体に目を配り、白波や水煙など波が実際にどんな様子をしているかを知るには目視が適しているからだ。
「船は普通、波の静かな時に出港し、海がしけると戻る。私たちの場合は、その逆」。 波が立たないと、研究にならないからだ。 大揺れの甲板でしぶきを浴びながら、夢中で作業したと振り返る。「よく遭難しなかったものです」「三角波(さんかくなみ)」も、そうして写した1枚だ。
米国東海岸沖の北大西洋で、1980年秋の大しけの日だった。 風が少し弱まったひととき、甲板に下り、うねる波に向かってカメラを構えた。 狙って撮ったわけではなく、「やみくもにシャッターを切ったら、偶然写っていた」。
三角波は周りに比べて異常に大きな波で、船をいっぺんに転覆させる力があることから、古くから船乗りたちに恐れられてきた。 だが、どうやってできるのか、そのメカニズムは複雑で現在も研究が続いている。
写真の三角にとがった波の高さは10メートル以上と推定される。「三角波の撮影は世界初」「奇跡的だ」と研究者の間で注目を集め、「論文に使いたいので貸してほしい」という依頼も寄せられた。
波のこと、「合成波で波高8m余の飯岡津波(東日本大地震で飯岡襲った)と三角波」のこと興味津々の課題です。
(記事投稿日:2022/01/27、#466)