『チャップリンの凄さ 2(五・一五事件とチャップリン暗殺計画!)』
「美人女優ジュラルディン・チャップリンの父親の素顔は超男前」
「喜劇王を救い、遺産272億円の相続人になった日本人の正体は」
ウエブ情報から引用
冒頭から余談です。
半世紀以上、昔の映画青年にとっては、偉大な喜劇俳優の『チャールズ・チャップリン』よりも、鮮烈な印象を受けたのは、映画『ドクトル‥ジバゴ』の主演女優(チャップリンの長女)『ジュラルディン・チャップリン』でした。
この映画では、唇、特に下唇のセクシーな『ジュリー・クリスティ』が、魅力的で、悪ガキ仲間では、意見が真っ二つ『ジュラルディン・チャップリン VS ジュリー・クリスティ』に割れたのをはっきりと覚えています。
ロシア文学は、大の苦手でしたが、この映画の原作『ドクトル・ジバゴ』は、ソ連の作家ボリス・パステルナークの小説、1957年出版。 ロシア革命の混乱に翻弄される、主人公で医師のユーリー・ジバゴと恋人ララの運命を描い た大河小説。 「戦争と革命の最中でも、人間は愛を失わない」内容でノーベル文学賞を授与された 。
表題に戻ります。
1927年に撮影されたチャップリンと高野虎市(右)=高野の遺族、東嶋トミエ氏所有の写真。
ウエブ情報から引用
- チャップリンは五・一五事件で暗殺される恐れもあったのだが、直前の予定変更で辛うじてそれを切り抜けていた。 (高野虎市の一連の行動からチャップリンが察したと言われている。)
喜劇王で有名なチャーリー・チャップリンが、来日中に暗殺されそうになっていました。
チャップリンが来日していたのは1932年(昭和7年)5月。
15日に首相官邸で行われる当時の内閣総理大臣犬養毅との晩餐会に出席する予定でしたが、急遽「相撲が見たい」というチャップリンが晩餐会をドタキャンしました。
海軍の青年将校たちが武装して首相官邸に乱入し、犬養毅を殺害した「5.15事件」でした。
チャップリンは日本に退廃をもたらす人物とされ、犬養毅と共に暗殺される計画が練られていましたが、突然相撲を見に行ったため逃れられたといいます。
- チャップリンの秘書として長年共に活動してきた高野虎市は、チャップリンの恋人との対立でチャップリンの元を去った後、日米親善のために活躍していた。
- ファシズムを否定し、愛国心に批判的だったチャップリンは、戦後に赤狩りにあってアメリカから追放されている。
喜劇王チャールズ・チャップリンの遺産相続人となった日本人。 生涯で80本の映画に出演し、アメリカの大スターとなったチャップリンの総資産は、現在の日本円に換算すると約272億円! この莫大な遺産を、なぜ日本人が相続することになったのか? その裏には、知られざる絆(きずな)の物語があった。
チャップリンは遺産を6人に分けるという遺言を残しており、その一人が日本人。なんと自分の映画に出演させるほどのお気に入りだったという。 その人物は、高野虎市氏。 映画撮影において完璧主義者だったチャップリンについていけず、辞めてしまうスタッフが続出するなか、高野だけは無理難題をこなしていた。
チャップリンは、高野について「私の全てだ」という言葉を残している。 大スターにそこまで言わしめる高野とは、いったいどんな人物だったのか?
益々、調べてみたくなる人物です。 高野虎市氏のこと。 この方『ジュラルディン・チャップリン』とも長い付き合いが続いていたようです。
(記事投稿日:2021/10/26、#414)
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