『古大陸文明の石造遺跡と、新大陸文明の石造遺跡の比較に、興味津々 2』
『ヨ-ロッパ中心の歴史は、凄い古代文明あった南北アメリカを新大陸と呼ぶ』
インカ文明(後13世紀~16世紀)のオリャンタイタンボの6枚の屏風岩と、エジプト カイロのシタデル・要塞(後12世紀~14世紀)の比較
先ずは、6枚の屏風岩、凄いのは、の巨石の接合方法と運搬方法(切り出した場所から、約300ⅿの引き下ろし、渓流を渡渉、さらに約150ⅿの引き上げ)です。 さらに、この6枚岩のつなぎ目固定用に使われた板状の石板が見事です。
この石工技術は、一般的には『木工技術ありきファースト』ですがその遺跡はありません。 更に運搬方法がに至っては全く想像もできません。
鉄製工具がなく、石製・青銅製工具で、ホゾ穴堀の方が難しく、このつなぎ目の石で、ホゾ穴堀加工で失敗したときに、新規に造り直しが出来るようにした。 この石板でなら百数十キロであり、比較的容易に、新規に造り直しができる。 つまり数十トンの巨石での、ホゾ穴堀加工の『オシャカ』対応をしないで済む。
ウエブ情報から引用
6枚中最大は、高さ4m、幅2.5m、厚さ1m、
6枚中最大は、高さ4m、幅2.5m、厚さ1m、重さ約80トン(加工石)。
日本にもある石舞台(7世紀、時間差は約1,000年)には、77トンと60トンの天井石が載せられていますが、全く加工はされておらず、無垢の自然石です。
写真に見える、表面の突起は『継ぎ接ぎ(ツギハギ)』用ではなく運搬用の支点でしょうか、これを支点に回転させながら運搬したと言われています。
ウエブ情報から引用
同時代の、エジプト カイロのシタデル・要塞(イル・アルア)
ウエブ情報から引用
ウエブ情報から引用
今後の調査のために、古大陸の目ソアメリカ文明とアンデス文明(チャビン文明、ワリ文明、モチカ文明、ナスカ文明、ティアワナコ文明、チムー文明、インカ文明)を整理しました。
メソアメリカ文明『定住で農耕(田畑)あり』分類
文明 |
特徴 |
オルメカ文明 (前10世紀〜850年頃) |
メキシコ湾岸に栄えた中央アメリカ初の都市文明。 絵文字を使った。 ジャガー神の信仰 |
テオティワカン文明 (前2世紀〜後6世紀) |
メキシコのテオティワカンに栄えた文明。 ピラミッドを造営。 宗教・商業都市の発達。 |
マヤ・ティカル文明 (6〜14世紀) |
ユカタン半島の古代文明。マヤ文字や階段ピラミッドを造営。スペイン人に征服された。 |
トルテカ文明 (6〜10世紀) |
テオティワカン文明後に成立。 後に分散した。 人身供儀の風習。 |
アステカ文明 (12〜16世紀) |
都テノチティトランを中心に栄える。 ピラミッドや象形文字、太陽暦を使用。 1521年、コルテスによって滅ぼされた。青銅器文明・都市文明・20進法。 |
アンデス文明『定住で農耕(田畑)あり』分類
・南米のアンデス山脈一帯には、アンデス文明が成立した。 アンデス文明は、チャビン文明、ワリ文明、モチカ文明、ナスカ文明、ティアワナコ文明、チムー文明、インカ文明などに分けられる。
文明 |
特徴 |
チャビン文明 (前1000年頃) |
ペルーにおこった古代文明。 アンデス文明のさきがけとなった。 |
ワリ文明 (500年〜900年頃) |
チャビン文化消滅後ペルー中部に栄えた古代文明。 |
モチカ文明 (100〜800年頃) |
チャビン文化の後、ペルーで栄えた古代文明。 |
ナスカ文明 (1〜8世紀) |
ペルーのカワチ遺跡周辺に栄え、地上絵を残した。 |
ティアワナコ文明 (1〜12世紀) |
ボリビアで栄えた古代文明。 |
チムー文明 (12〜15世紀) |
モチカ文明を継承。 インカ帝国に滅ぼされた。 |
インカ文明 (1200年頃〜1533年) |
ケチュア族が首都クスコを中心に建国した大帝国。 高度な石造技術と青銅器、キープを使用した。 著名な遺跡がマチュピチュである。1533年、ピサロに滅ぼされた。 |
古大陸と新大陸の文明の比較はこれからも興味津々です。
(記事投稿日:2022/06/18、#541)
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