『美と破壊の女優と呼ばれるグランプリ女優・京マチ子さんの凄さ』
『女優は監督を選べないが、大勢の監督が選んだ、稀な女優の一人』
京マチ子さんは表題通りの美と破壊の大女優と呼ばれ、同時代の五大女優(桑野通子・原節子・山口淑子・高峰秀子・京マチ子)の一人、原節子さんとは両極端に位置づけられそうです。 北村匡平氏の『スター女優の文化社会学 戦後日本が欲望した聖女と魔女』作品社2017年9月発行があります。
ウエブ情報から引用
この本を著した北村匡平氏のプロフィールです。
1982年山口県生まれ。 東京大学大学院学際情報学府修士課程修了、同大学博士課程単位取得満期退学。 日本学術振興会特別研究員(DC1)を経て、現在、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授。 専門は映像文化論、メディア社会学。
単著に『美と破壊の女優 京マチ子』(筑摩選書)『スター女優の文化社会学 -戦後日本が欲望した聖女と魔女』(作品社)、訳書に『黒澤明の羅生門 -フィルムに籠めた告白と鎮魂』(ポール・アンドラ著・新潮社)、共編著に『川島雄三は二度生まれる』(水声社)『リメイク映画の創造力』(水声社)など。
先ずは、その抜粋と引用です。
『彼女たちはいかにして「スター」となったのか。 なぜ彼女たちでなければならなかったのか。 原節子と京マチ子を中心に、スクリーン内で構築されたイメージ、ファン雑誌などの媒体によって作られたイメージの両面から、占領期/ポスト占領期のスター女優像の変遷をつぶさに検証し、同時代日本社会の無意識の欲望を見晴るかす、新鋭のデビュー作。
本書が描こうとしているのは、スター女優が「国民的スター」として存在することができた最初で最後の時期――映画と戦争が協働しながら理想の帝国を築こうとし、一つの国家が映画に描かれた民主主義を目指した時代の「国民的スター女優」である。 日本映画を支えてきた(…)スター女優たちの存在は常に国家の記号『ナショナル・シニフィアン(意味しているもの・表しているもの)』だった。 だが、社会の集合的欲望が作り出すさまざまなスター女優のなかで、なぜ彼女たちでなければならなかったのか。 この問いを突き詰めれば、現代社会を生きる私たちの意識とも直結する戦後の日米関係や日本人の美意識の系譜など、日本人の〈戦後〉を異なる視点から解明してくれる。 すなわち、彼女たちの身体イメージから、戦後日本のナショナル・アイデンティティが透けて見えてくるのである。集合的欲望としてスクリーンに投影されるスターこそ、潜在的な意識を顕在化させる文化装置――あるいは抽象的な欲望を具現化する媒体(メディウム)なのである。』
と、紹介されています。
大女優の基準を、人々を惹きつけ、映画を中心の場として活躍し女優たちとすると、そこで挙がるのが原節子、田中絹代、高峰秀子です。 この三人が日本映画を代表する女優ではないかと思います。 映画が娯楽の頂点にあった昭和という時代に、映画界で活躍した女優・日本映画の『三大女優』と言われるのは、この三人でした。 三人の出演した映画の多くは、傑作として記憶に残る作品が多くあります。 この三人で、すぐに思い出すのは、特徴的なのが、原節子には小津安二郎、田中絹代に溝口健二、高峰秀子に成瀬巳喜男という巨匠監督が存在したことです。
昭和の名女優だった高峰秀子さんは『日本映画の最もいい時期に、最もいい監督と仕事ができて幸せだった』と語ったそうです。 が、高峰秀子さんや原節子さんは、溝口映画には出る機会がなかった。 そんななか、京マチ子さんは、日本の四大巨匠と称される、黒沢明、溝口健二、小津安二郎、成瀬巳喜雄の四監督監の映画に主演している。
昭和の戦前戦後を通じての二大女優についての著書を見て、ますますこの二人の女優の大ファンになりました。 日本映画史上の三大女優を、傘寿爺が自分勝手に決めれば、残る一人は岸恵子さんで、別の機会に調べます。
(記事投稿日:2022/06/20、#542)
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