『世界の城郭・宮殿 26(ペルーのサクサイワマン城砦が凄い)』
『石造建築の中の、巨石の、驚異の切り出し方法・運搬方法の謎!』
サクサイワマン城砦の歴史は、インカ帝国の第9代皇帝パチャクティの命によって1438年以降に建設が開始され、約50年後(1488年)の第11代皇帝ワイナ・カパックの在位中に完成したとされる。 フランシスコ・ピサロをはじめとするスペイン人による征服で首都が陥落した後の1536年に行なわれたクスコ奪還戦では、マンコ・インカ・ユパンキ率いるインカ軍の拠点となった。
インカ帝国
1200年頃に興り,1532年スペイン人に征服された。 ケチュア語:タワンティン・スウユ(Tawantinsuyo)は、南アメリカのペルー、ボリビア、エクアドルを中心にケチュア族が築いた帝国。 文字を持たない社会・文明で、首都はクスコ。
このサクサイワマン城砦は、スペイン人による征服で首都が陥落した後の1536年に行なわれたクスコ奪還戦には使われたが、スペイン人による征服に備えて築城されたのではなかったようにも思われる。
サクサイワマン城砦を『①縄張り、②普請、③作事』、に①縄張りは、実際の攻城戦から調べてみましたが、インカには文字のなかったこともあり、かつ、スペインの侵略以外は、平和で戦争もなかったようで記録はりませんでした。
サクサイワマン城砦の縄張り・堅城(神殿よりは、詰めの城)
ウエブ情報から引用
インカ帝国の首都であったクスコの北2kmのところにある丘の上に残された巨大な石で作られた城砦跡がサクサイワマンです。 広さは、3,000ha(30平方㎞)、小田原城・大阪城より数倍も大きく、因みに江戸城総構えは、8,000ha(80平方㎞)南京城に次いで世界で第二位よりは小さい。
サクサイワマン城砦の普請・城壁(想像以上に戦いに備えた築城)
ウエブ情報から引用
ウエブ情報から引用
ウエブ情報から引用
スペイン人がやって来た時には城砦として使われていましたが、近年ではここは城砦というよりもっぱら儀式に使われていた宗教施設であったのではないかと言われています。 クスコ市街を見下す丘の上に、巨石で構築された城砦跡。 3層からなる石垣は22回のジグザグを描きながら360mも続き、中には推定200トン以上の巨石もある。 城壁は高さ20ⅿ以上もあった。 後方(南東)のクスコ市街とサクサイワマン城砦の標高差は約300ⅿもあり山城です。
巨石は切出し、運搬され、積み上げれれた。
ウエブ情報から引用
余談ですが、巨石と運搬方法です。
- 4500年前の大ピラミッドの王の間の天井石、約60トン、丸太滑車と逆レールの橇
- 700年前のサクサイワマン城壁の巨石、200-300トン、『運搬方法不明』
- 600年前大阪城の城壁の蛸石、約108トン、横丸太上に橇(修羅)
古代・中世では、巨石運搬は最大100トン前後までだったようです。
サクサイワマン城砦の作事・逆さ岩
すべてスペインに破壊か転用されたのか、もともと石造城壁でだけであったのかは今後の調査課題ですが、写真からはこの砦は神事目的もあったようです。
ウエブ情報から引用
比較的新しい数百年前の中世の中南米の鉄器なしでの石造建築技術(切出し・加工・運搬)は理解できないほど凄い、特に、ハンマー石で、隙間なしで面を合わせる加工技術が凄い。 特に巨石材の面合わせ加工は『人間わざ』ではなく『宇宙人わざ』思いたくなります。
(記事投稿日:2022/08/17、#561)
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