『岡山城の狭間(サマ)(行って見て・解かったこと)』
『この城の狭間だけが内側も外側も広く、城壁断面の中央で小さく、ユニーク』
岡山城は別名、烏城・金烏城、梯郭式平山城(日本城郭協会さんへ、天守付近で海抜12m、背後の旭川の水面から、標高差10ⅿ、これで平山城、因みに千代田城・江戸城は天守付近で海抜29ⅿ、東京駅付近からの標高差26m、これでも、平城です。)
岡山城は宇喜多家が本格築城、関が原で敗れ、関が原の寝返り小早川家が城主に、これも世継なしの理由で2年後改易、徳川譜代の大大名岡山藩池田家に引き継がれ城郭拡張も、1620年頃完成、天守は第二次大戦中、空襲で焼失。ナント日本の城郭・寺院等の木造建築は数百年持つし、鉄筋コンクリートよりはるかに、長寿命です。
さて、本題です。
狭間は、西洋の城郭にもあり、アロースリットとか、ループ(勾配)ホールと言われる。 狭間は武器分類で、矢狭間・鉄砲狭間・大砲狭間、形で分類は、弓矢用の縦長の長方形、鉄砲用なら丸型・三角型・正方形がある。
狭間は、一般に内側・防御側のホールが広く、外側・攻撃側に狭くする勾配がかかっており、ワンサイドの勾配です。 内側から弓でも銃でも広角に狙えるようになっています。
Webには、こんな説明もありました。
狭間は多くの場合、外側(城外)にいる敵を狙う小窓であるが、例外として、姫路城の大天守内部には、敵が侵入した際、隠れ部屋の壁から狙う狭間があり、いわゆる城の外側を狙うのではなく、部屋内の敵を狙うものであり、籠城戦が崩れた後の想定、すなわち最後の最後の抵抗目的で造られたものもある。城内に侵入した敵の油断(狭間は城外を狙うもので建物内にはないとの思い込み)をつく狭間である。
備中松山城には、一部の狭間が逆向き(外広がり)なってところがありますが、これは工事ミスですが、平和な時代になっていたので放置された由。平和です。
ところが、この岡山城の狭間だけが、内側も外側も広く、城壁断面のセンターで小さくなっています。つまり両側から勾配(ループ)がかかっています。 このユニークな狭間は今後の調査課題です。
岡山城は石垣もユニークで、宇喜多時代の野面積みと池田時代の打ち込み接ぎ(ハギ)の共存なっています。
(記事投稿日:2016/09/10、最終更新日:2023/04/15)
(20160910纏め、20190225改、#000)