知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

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『大ピラミッドのこと 5(化粧石・化粧板から、古代人の美的センスが)』ー約10トンの石灰岩の化粧石を、あの巨大な3基のピラミッドに貼り付けたー

2024-09-14 10:54:33 | 歴史・世界

『大ピラミッドのこと 5(化粧石・化粧板から、古代人の美的センスが)』 

『約10トンの石灰岩の化粧石を、あの巨大な3基のピラミッドに貼り付けた』

 

ギザのピラミッドは完成時の想像図、最近、ウェブ情報で見つけました—

 ウェブ情報(ギザのピラミッドは完成時の想像図の写真)から引用

 

3基の中央のカフラー王のピラミッド(第2ピラミッド)最下部だけが赤で、他の大部分が白く外装されていた。(現在は最下段の1列だけに赤い花崗岩の外装が残っている)

ウェブ情報から引用

3基の手前のメンカウラー王のピラミッド(第3ピラミッド)は下から16列がやはり赤い花崗岩となっていた。

『ギザの三大ピラミッドの現在の風景』です。

ウェブ情報(ウィキペディアの「ギザの大ピラミッド」)から引用

 

3基の中央のカフラー王のピラミッド(第2ピラミッド)に残った化粧石

ウエブ情報から引用

エジプトのピラミッドは、確認されている物だけでも138基あり、 見事というくらいナイル川の西岸に偏っています。 ピラミッドばかりではなく、王家の谷もナイル川西岸部にあります。 古代エジプト人はナイル川を挟んで西側があの世、東側が現世と考えていたようです。

古代エジプトでは、太陽信仰があったので、太陽が昇り、そして沈んでいく方向に関係があるのかもしれません。 そのため西岸にピラミッドが集結していると考えられています。 また、ピラミッドを作るにあたり、船で切り出した石を運ぶ際に、岸の形が石を降ろすのに都合がいい地理をしていたからとする説もあります。

古代エジプトのピラミッドは、文献上一番初めの物は紀元前27世紀中頃から、現在確認されている物で最後の物は紀元前16世紀までなので、その1100年ほどの間に建設されました。 完成度の最も高い、ギザの三大ピラミッドは、ピラミッド建造の歴史の中で真ん中あたりです。 

理由ですが、半世紀も前に、読んだ『岩波講座 世界歴史 29巻』の1巻にありました。 次のようにあったと覚えています。 『国家の経済的理由と、直系で王朝を統一してきたことに終止符が打たれたこと、時代の流れによってピラミッドから神殿造りへと移り変わっていった。 ピラミッドが作られなくなってから、数多くの巨大神殿が造られている』と。

 

『今後の課題、大ピラミッドから神殿へ、「巨大5神殿」

  • ルクソール神殿。
  • アブ・シンベル神殿。
  • カルナック神殿。
  • イシス神殿。』

 

ギザの三大ピラミッド、3基に組み込まれた、薄茶色の石灰岩の石材は見慣れています。 特に、クフ王の大ピラミッドには、260~280万個が組み込まれているそうです。 この度は、この大ピラミッドをカバーしていた白色の石灰岩の化粧石・化粧板を調べていて驚きました。 

日本では、竪穴住居、約4500年前、縄文時代中期の竪穴住居時代です。

三大ピラミッドのクフ王のピラミッドの北側の斜面の最下段には、白い化粧石の一部が今も残されている。 この『化粧石;高さ1.5m、幅1.5m、断面は台形、上辺奥行1.3m、下辺奥行2.3m、重量約10トン、三基ピラミッドで十数万個か?』。

ウェブ情報(ピラミッドの化粧石の画像)から引用

一方、隣のカフラー王のピラミッド(第2ピラミッド)の場合は、頂上付近に今も化粧石を見ることができる。 まるで白い帽子をかぶっているように頂上部だけに化粧石が残され、それはとても滑らかな表面に仕上げられている。 ところが、このピラミッドの場合、上から下まですべて白い外装石で覆われていたのではなく、なぜか、一番下の2列だけは赤い花崗岩になっていた。 最下部だけが赤で、他の大部分が白く外装されていた。(現在は最下段の1列だけに花崗岩の外装が残っている。


ウェブ情報(ピラミッドの化粧石の画像)から引用

写真はありませんが、記録によると、もっと極端なのは、3大ピラミッドのうち一番小さなメンカウラー王のピラミッド(第3ピラミッド)です。 このピラミッドでは下から16列がやはり赤い花崗岩となっていた。 ピラミッドの高さにして上部の四分の三が白い石灰岩、下部の四分の一が赤い花崗岩と、二色に色分けされていた。 約4,500年前の、このツートーンカラーのセンスには、ただただ驚くばかりです。 

さらなる驚きは、加工しやすい石灰岩とは言え『約10トンのシャープなエッジ部分の多い石灰岩の化粧石を、あの巨大な3基のピラミッドに貼り付けた』ことです。 この化粧石を下から積み上げたか、上から貼り付けてきたかの議論があるそうですが、カフラー王のピラミッド(第2ピラミッド)のトップに、庇のように残った風景を見ると,上から貼り付けてきた方法は、多少疑問が残ります。

次の課題、『クフ王の大ピラミッドには、260~280万個が組み込まれているが、石材のサイズが、下段から201段のトップまで、リニアに小さくなっていない、途中で大きくなっている層がいくつかある』ことです。 この点も、これから調べてみたいと思っています。
 (記事投稿日:20190903、最終更新日:2024/09/14、#148)


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