『大ピラミッドのこと 8(「ピラミッド」のわき役・大スフィンクス)』
―巨大なスフィンクスは背後にあるピラミッドよりはるか昔に作られた?―
学校の社会科で習うから『覚えている、ギザ台地にある三大ピラミッド』と、その後は、建造者とされるクフ王、カフラー王、メンカウラー王は、やっと覚えました。 が、わき役の大スフィンクスは、ややもすると、見過ごしてきました。
大スフィンクスは石灰岩の大地を削って作られており、全長73.5ⅿ、全高20ⅿ、全幅19ⅿです。 太陽が登る東の方を向いて、ギザの3大ピラミッドからはわずか800メートルのところに建っています。
埋没していた時代のスフィンクス(デビッド・ロバーツ画1838年)
ウキペデイアから引用
昔は顔の部分だけが砂から出ており、何世紀もの間、これがスフィンクスの全体像だと考えられていました。 こちらは貴重な1852年当時のスフィンクスの画像です。
カフラー王のピラミッドと大スフィンクス
ウキペデイアから引用
ギザの大スフィンクス
ウキペデイアから引用
先ずは、4500年以上も昔に造られた、世界最大の彫像『大スフィンクス』のウキペデイア情報の抜粋・引用です。
『彫像として、全長73.5m、全高20m、全幅19m。一枚岩からの彫り出しとしては世界最大の像である。 石灰岩の丘を彫り下げたもので、四角い窪地の中に位置している。 窪地を作る際に切り出された石灰岩は大スフィンクスの傍の神殿を建造する石材に使われている。
建造当時はエジプトの青銅器時代より前であり、純銅の鑿と石のハンマーを用いて、長い時間をかけて彫り出されたと考えられている。 太古にはギザ台地は海の底であり、石灰質の生物の死骸が長い時間をかけて堆積し、その後隆起し、石灰岩の台地が形成された。そのためギザ台地の石灰岩は硬い層と柔らかい層が交互に積み重なっている。
胴体の凸凹は硬い層より柔らかい層が風化により差別浸食された結果である。それに加え、ギザ台地はその由来から塩分を多く含み、毛細管現象により表面に析出した塩分が膨張することで表面が脆くなって剥離し、大スフィンクスは建造以来常に、そして現在も、崩壊し続けている。そのためその歴史において度々修復されており、そのおかげでかろうじて現存しているともいえる。』
四半世紀も前のことですが、当時、三大ピラミッド以上に、人気を馳せたのが大スフィンクスで、有名にしたのはグラハム・ハンコック氏の『神々の指紋』で、全世界で750万部以上の大ベストセラーでした。 7~8,000年前に大スフィンクスや三大ピラミッドが造られたという説を振り返ってみてみます。
『神々の指紋』の中では、次のようにありました。
『スフィンクスの侵食跡は降雨によるものであり、「通説(4-5000年前)」の年代ではこのような降雨による跡を生むことはできない。 12000年前頃に造られた証拠である。』
『「インベントリー石碑」といわれる碑文について「スフィンクスも大ピラミッドも、クフ王が王位につく遥か昔から存在していたということがはっきりと書かれていた。』
と、ありましたが、『インベントリー石碑は大ピラミッドについて何ら言及していない。 また、クフ王がスフィンクスを補修したとしても、それは必ずしもスフィンクスが「クフが王位につく遥か昔から存在していた」ということを示すものではない』と言われております。
やはり、当時は、『神々の指紋』に、歴史よりロマンを感じたのではないでしょうか。
(20201226 纏め #265-1)
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