原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

虐待被害児保護施設における虐待連鎖の悲劇

2010年11月30日 | 時事論評
 子供が(養父母等も含めた)親から虐待され死に至ったり、あるいは一命を取り留め保護される報道が昨今途絶えることがない現状は、皆さんもご承知の通りである。


 不幸中の幸いの事例として虐待被害児が公的機関に保護された報道に接した場合、我々一般市民は「鬼畜のごときの親とやっと離れることができ、これでこの子は命拾いした…」と一応安堵するものである。

 そんな中、元教育関係者でもある原左都子ももちろん被害児が保護されたことに安堵する一方、その後の虐待被害児の心身状態の回復や更正後の社会適応の程が大いに気掛かりなのである。
 と言うのも、メディア報道の情報発信の“偏り”により虐待事件そのもののニュースはいつも大々的に取り扱われ発信されているにもかかわらず、上記のような虐待被害児保護後の“その後”に関する情報がほとんど見当たらない現状であるからだ。 


 ここで今回の記事の趣旨から少しズレさせていただくことにしよう。
 この種のメディアの事件事象の取り扱い上の“偏り”は何も子供虐待事件に限った事ではないことについては、「原左都子エッセイ集」のバックナンバーにおいて再三取り上げている。
 例えば学校におけるいじめがらみの某自殺事件にしても、事件後学校が責任問題をうやむやにしている事実こそをもっとメディアがつつくことに期待していたにもかかわらず、女児自殺後2週間も放ったらかし状態だった。 学校側の責任こそがずっと気になってしょうがなかった私がブログで取り上げた後に、遅ればせながらやっと学校側がいじめの実態を認めたとの報道を目にした。
 あるいは某女性国会議員の卵子提供体外受精妊娠事例の場合、私など、産む親である国会議員側の子供が欲しい身勝手な論理など二の次でよいから、産まれて来る体外受精児である子供の将来に渡る人権が保障されるのか否かに関する情報こそが今後欲しい思いをバックナンバーで訴えている。
 (プライバシー保護等の法的制約もあり、報道機関としても事件事象発生後の情報収集が困難であるのかもしれない。 それでも世の発展のためには、メディアは“金”につながるスクープのみを追っかけそれを国民の娯楽対象として“面白おかしく”報道するばかりではなく、総合的視野を持って世に真に役立つ情報を発信して欲しいものである。)


 中断が長引いてしまい恐縮だが、 そうしたところ11月27日朝日新聞夕刊において、珍しくも“虐待被害児保護後の実態”に関する調査結果の記事が掲載されているのを発見した。

 社会面の目立たない位置に小さく存在していた当該記事の内容を、以下に要約して紹介しよう。
 「児童相談所一時保護所研究会」(民間団体とのことらしいが)の調査により、虐待を受けた子供を緊急保護する一時保護所で、ほかの入所児童・生徒に暴力を振るった経験がある子供が3割に上っていることが分かった。 本来ケアされるべき施設で子供のストレスが溜まり「二次被害」が顕著になっている。 今回の調査は、全国124箇所の一時保護所にいる小学4年生以上を対象として実施され、そのうち43箇所(回答率35%)251人からの回答を得た結果の公表である。 その内容としては「(一時保護所内で)友達に暴力をよく(あるいは少し)振るった」り、「友達が傷つくような悪口を言ったり」とのことだ。 一時保護所とは、虐待や家出などの18歳未満の子供を緊急に保護する場であるが、1日あたりの保護人数は1475人と10年前の2,1倍であり、退所後の受け皿(がない事)も深刻で児童生徒の平均滞在日数は28日となっている。


 私論に移るが、これは原左都子が恐れていた通りの調査結果であると言える。
 まさに「虐待は連鎖する」悲劇が、虐待被害児等一時保護所において子供達の間で早くも展開されている実態を目の当たりにした思いである。

 子供虐待事件に関しては、地域住民よりの通報にもかかわらず地元児童相談所の対応が後手後手に回った挙句、児童の命が救えない現状を批判的に捉えている私である。
 ところが、やっと保護した後の児童達を預かっても一時保護所で児童間における“虐待連鎖”が早々と展開される悲惨な現状を心得ている施設担当者が、もしかして親元にいる方がまだまし、との判断を暗黙のうちに下しているのか…  とさえ推測してしまうような今回の記事内容である。

 この子供の虐待を取り巻く、まるで「地獄絵図」のごとくの現状をどう救えばよいのだろう。
 虐待被害児一時保護所の現実をこの記事によって垣間見てしまった私とて、頭を抱え込んでしまう課題である。
 一時保護所の職員数を増員して児童のケア、管理を強化しよう、と言ったところで、地方自治体とて経費削減に躍起である。 まさか、財政難にあえぐ国政がこの分野に予算増強するはずもない。
 それならば民間活力があるじゃないか! との結論に達しそうだ。 就職難にあえぐ若年層を高齢者福祉介護同様、虐待いじめ等子供が受ける被害をめぐる福祉救済分野に積極的に投入する手立てはありそうだ。 ただこれも、結局は国や地方自治体の今後の前向きな取り組みと大幅な資金援助が必要条件となろう。


 それにしても、就職難そしてそれ故の生活難にあえぐ今の世代の親達が元々の“虐待素質”加えて、もしも貧乏逆境のストレスがきっかけで家庭内において可愛いはずの我が子を虐待しているとすれば、上記の民間活力の提案とは“不幸と幸との堂々巡り”であるだけで根本的な解決策とはなり得ない気もするのだ。

 「虐待は連鎖する」ことは、親子がこの世に存在する限りその宿命として既に立証されているとも言える辛くて困難な命題でもある。
 それ故にそれを完全に撲滅するためには、その加害者に成り得るべく自覚がある人には「産まないという選択肢もある」との思い切ったメッセージを、原左都子はバックナンバーにおいて展開している。

 国政、自治体をはじめ(少額の子供手当てや医療手当てをバラ撒いてくれる以外は)誰も生まれてくる我が子を助けてくれるはずもない現状において尚、あえて子供を産み、その我が子をどうしても虐待してしまう自分が止められないから周囲の誰か助けて!! と絶叫する人種に対し、正直言って今のところ「産むな!」以外の適切なアドバイスがどうしても出来ない未熟者の私である…
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