「原左都子エッセイ集」9月18日のバックナンバー記事「50歳で子どもを産むということ」宛にまるで返答をいただいたかのごとくの、野田聖子氏に対するインタビュー記事を、11月6日付朝日新聞夕刊において発見した。
もちろん決してそうではなく、今回の野田聖子衆院議員の50歳にしての体外受精妊娠騒動が世の物議を醸しているため、朝日新聞が現在妊娠7ヶ月の安定期に入っている野田氏本人に現在の心境をインタビューしたまでのことであろう。
ここで我がバックナンバー「50歳で子どもを産むということ」で綴った私論の趣旨を少し復習しておくことにしよう。
元々不妊治療という人工的措置を施してまで子どもを設けることに関して、原左都子は基本的には肯定的に捉えていない。 そんな私は、親であるご本人が子どもを産みたい意思をあくまで押し通して体外受精に踏み切る場合、自分の希望を優先する以前の問題として、必ずや生まれてくる子どもの一生に渡る人権こそに思いを馳せるべきであると強調した。
体外受精等人工的措置を施してまで子どもを設けることにこだわる人種とは、ややもすると親本人のエゴが優先されているきらいがあることを私は懸念しつつ、ご自身のエゴよりも、産まれて来る子どもの人権の方がはるかに尊いとの私論を展開したのが「50歳で……」の趣旨である。
何故に上記のごとくの私論を展開するのかと言うと、これについても本エッセイ集の不妊関連の複数のバックナンバーで再三既述しているのだが、世の中には何故に自分が子どもが欲しいのかに関してとんでもない勘違いをしている人種が必ずや存在するためである。
例えば(子どもを産めない女は女性として機能不全であると後ろ指を指されたくないから何が何でも産みたい…)等の自己の存在正当化であったり、 あるいは(子どものいない人生は寂しい)等、産んだ子どもに依存する他力本願人生を送るのが目的だったり、 はたまた今回の野田聖子議員のように(?)世襲の跡継ぎが欲しいがためだったり???……
とにかく、私が今まで身近に経験している体外受精をしてまで子供を設けることに躍起になっている人種とは、どうも自分のエゴばかりにがんじがらめになるが故に客観的な思考能力を失ってしまい、生まれてくる子どもの人権に思いが及んでいない場合が多々あるのである。
その結論が惨めである事例も私は身近に経験しているのだ。
ある女性は高齢にしてやっと子どもを授かったものの、産まれて来た子どもを“育てる”という観点が自分には全く欠如していたことに産んで初めて気付き、結局産んだ子どもが育てられず(母親としての自覚が持てず)にご亭主に子どもを預けて離婚に及んだ事例がある。(すなわちその女性は産んだ子どもを“捨てた”訳であるが、今尚自分が“出産”した事実を誇りとして平然と生きているようだ。)
あるいは、他人からの精子提供により子どもを設けたものの、子どもの成長と共にご主人が自分とはDNAの異なる子どもが育つ姿を受け入れる事が出来なくなったため、離婚に及んだ家庭があるとの報道に関してもバックナンバーで紹介している。
冒頭に戻って、今回の朝日新聞のインタビューに応えた現在妊娠7ヶ月目に入っている野田聖子議員のコメントを以下に要約して紹介しよう。
おなかの中の子は男の子で、元気に動いている。 一般の人から見ると奇妙なのかもしれないが、私からするとようやく“産み時”が来たのだ。 私は法律を作る立場の人間だからこそ、国会議員として(今回の体外受精を)まさに命をかけてやっている。 普通の妊娠が出来ない場合、人工的妊娠のステップがいろいろある。 私が一石を投じたいのは、体外受精を何度もやる必要があるのかということ。これは私自身が14回もやって傷ついたからこそ、これからの女性にはこんな私を反面教師にして欲しいのだ。 だから子どもを産むことを先延ばしにしないで欲しいが、高齢出産でも頑張れと言いたい訳でもない。ただ、この国には子どもが欲しい人にチャンスがない。 私の(生まれてくる)子はハーフだ。 家庭は多様化しているし、これが私たちの家族である。新しい親子の姿を見ることで許容してもらいたい。
う~~ん、 う~~ん。
野田聖子さん、このインタビュー回答を見た原左都子はやっぱり辛い……
あなたが自民党国会議員として活躍(?)していたがために子どもを産み遅れ、その後体外受精に14回も頼って子どもを設けようとした意図はよく理解できた。 その間、ご亭主をとっ替えて現在のご主人をパートナーとした後に今回の米国での卵子提供体外受精妊娠により“ハーフ”の息子さんをまもなく出産しようとしていることもよく分かった。 今の時代家庭が多様化しているのだから、(国民の)皆さんこんな新バージョンの親子の姿を受け入れて欲しい、とのあなたの今の願いも分かった。
ところで、このインタビュー回答を読んだ一国民として、大いに気になった部分がある。 それは野田氏が海外での体外受精強行を決意したきっかけが、自民党が野党になっていろんな制約から解き放たれたから故と表明している箇所である。(野党議員とは、海外での体外受精が容易に遂行できる程に、自由な時間が保障されているのですかね???)
そして、いよいよこの記事の本来の趣旨に戻ろう。
野田聖子さん、この記事によると、あなたはもうすぐ産まれて来る貴方のDNAを継いでいない子に「君は私が10ヶ月間私の血をあげたから私の命よ。欲しくて欲しくて頑張って誰よりも望まれて生まれてきたのよ。」と伝えるらしい。
その子育ては誰がするのだろう? きっと国会議員のあなたが四六時中育児をする訳ではないから、このような発言が可能なのだと推測する。 おそらく、多大な国会議員歳費特権から優秀なベビーシッターを雇用してその人物に子育てのすべてを任せ、あなたは時折その成長を見ては「いい子に育ってるね」と微笑めば済む立場の“お気軽母親”を全うするつもりなのであろう。
ここで、産まれて来る野田氏の息子さんの立場になって推測発言するに、「僕は母のDNAを受け継いでいないし、僕を育ててくれるのも見知らぬベビーシッターだよ。 まるで僕は昔の封建制度の下でこの家を継ぐべく養子に来た犠牲者のごとくだ。僕の存在って一体何なの?……」 との悲痛な叫びが聞こえてきそうである。
今の時代、あの“天皇家の愛子ちゃん”とて小学校での“いじめ”に苦しむべく世が退廃している現状を、子どもを産むことのみに躍起になっている野田氏は自身の問題として実感できているのであろうか?
子育てとは(たとえ自分が国会議員という恵まれた立場にあると思っていようが)そんなに甘い時代ではないとアドバイスしたくもなる。
子どもを産んだ達成感など、産んだ瞬間にぶっ飛んでしまうものである。 その後の親に課せられるのは、産んだ子どもの人権を一生かけて守り抜くことのみである。
国会議員であれ如何なる立場であれ、子を持つ親の果すべく使命とは共通であるはずだ。
自分のDNAを受け継いでいない子どもの誕生、加えて“超高齢出産”となれば親である自身の老後に及んで尚その使命が続く訳であるが、その現状をどれ程自己責任として捉えられた上で人工授精に及んだのか……
大変失礼かつ老婆心ながら、3ヵ月後に産まれて来る野田氏の息子さんの成長の行く先に暗雲が立ち込めている感覚がどうしても拭えない思いの原左都子である。
もちろん決してそうではなく、今回の野田聖子衆院議員の50歳にしての体外受精妊娠騒動が世の物議を醸しているため、朝日新聞が現在妊娠7ヶ月の安定期に入っている野田氏本人に現在の心境をインタビューしたまでのことであろう。
ここで我がバックナンバー「50歳で子どもを産むということ」で綴った私論の趣旨を少し復習しておくことにしよう。
元々不妊治療という人工的措置を施してまで子どもを設けることに関して、原左都子は基本的には肯定的に捉えていない。 そんな私は、親であるご本人が子どもを産みたい意思をあくまで押し通して体外受精に踏み切る場合、自分の希望を優先する以前の問題として、必ずや生まれてくる子どもの一生に渡る人権こそに思いを馳せるべきであると強調した。
体外受精等人工的措置を施してまで子どもを設けることにこだわる人種とは、ややもすると親本人のエゴが優先されているきらいがあることを私は懸念しつつ、ご自身のエゴよりも、産まれて来る子どもの人権の方がはるかに尊いとの私論を展開したのが「50歳で……」の趣旨である。
何故に上記のごとくの私論を展開するのかと言うと、これについても本エッセイ集の不妊関連の複数のバックナンバーで再三既述しているのだが、世の中には何故に自分が子どもが欲しいのかに関してとんでもない勘違いをしている人種が必ずや存在するためである。
例えば(子どもを産めない女は女性として機能不全であると後ろ指を指されたくないから何が何でも産みたい…)等の自己の存在正当化であったり、 あるいは(子どものいない人生は寂しい)等、産んだ子どもに依存する他力本願人生を送るのが目的だったり、 はたまた今回の野田聖子議員のように(?)世襲の跡継ぎが欲しいがためだったり???……
とにかく、私が今まで身近に経験している体外受精をしてまで子供を設けることに躍起になっている人種とは、どうも自分のエゴばかりにがんじがらめになるが故に客観的な思考能力を失ってしまい、生まれてくる子どもの人権に思いが及んでいない場合が多々あるのである。
その結論が惨めである事例も私は身近に経験しているのだ。
ある女性は高齢にしてやっと子どもを授かったものの、産まれて来た子どもを“育てる”という観点が自分には全く欠如していたことに産んで初めて気付き、結局産んだ子どもが育てられず(母親としての自覚が持てず)にご亭主に子どもを預けて離婚に及んだ事例がある。(すなわちその女性は産んだ子どもを“捨てた”訳であるが、今尚自分が“出産”した事実を誇りとして平然と生きているようだ。)
あるいは、他人からの精子提供により子どもを設けたものの、子どもの成長と共にご主人が自分とはDNAの異なる子どもが育つ姿を受け入れる事が出来なくなったため、離婚に及んだ家庭があるとの報道に関してもバックナンバーで紹介している。
冒頭に戻って、今回の朝日新聞のインタビューに応えた現在妊娠7ヶ月目に入っている野田聖子議員のコメントを以下に要約して紹介しよう。
おなかの中の子は男の子で、元気に動いている。 一般の人から見ると奇妙なのかもしれないが、私からするとようやく“産み時”が来たのだ。 私は法律を作る立場の人間だからこそ、国会議員として(今回の体外受精を)まさに命をかけてやっている。 普通の妊娠が出来ない場合、人工的妊娠のステップがいろいろある。 私が一石を投じたいのは、体外受精を何度もやる必要があるのかということ。これは私自身が14回もやって傷ついたからこそ、これからの女性にはこんな私を反面教師にして欲しいのだ。 だから子どもを産むことを先延ばしにしないで欲しいが、高齢出産でも頑張れと言いたい訳でもない。ただ、この国には子どもが欲しい人にチャンスがない。 私の(生まれてくる)子はハーフだ。 家庭は多様化しているし、これが私たちの家族である。新しい親子の姿を見ることで許容してもらいたい。
う~~ん、 う~~ん。
野田聖子さん、このインタビュー回答を見た原左都子はやっぱり辛い……
あなたが自民党国会議員として活躍(?)していたがために子どもを産み遅れ、その後体外受精に14回も頼って子どもを設けようとした意図はよく理解できた。 その間、ご亭主をとっ替えて現在のご主人をパートナーとした後に今回の米国での卵子提供体外受精妊娠により“ハーフ”の息子さんをまもなく出産しようとしていることもよく分かった。 今の時代家庭が多様化しているのだから、(国民の)皆さんこんな新バージョンの親子の姿を受け入れて欲しい、とのあなたの今の願いも分かった。
ところで、このインタビュー回答を読んだ一国民として、大いに気になった部分がある。 それは野田氏が海外での体外受精強行を決意したきっかけが、自民党が野党になっていろんな制約から解き放たれたから故と表明している箇所である。(野党議員とは、海外での体外受精が容易に遂行できる程に、自由な時間が保障されているのですかね???)
そして、いよいよこの記事の本来の趣旨に戻ろう。
野田聖子さん、この記事によると、あなたはもうすぐ産まれて来る貴方のDNAを継いでいない子に「君は私が10ヶ月間私の血をあげたから私の命よ。欲しくて欲しくて頑張って誰よりも望まれて生まれてきたのよ。」と伝えるらしい。
その子育ては誰がするのだろう? きっと国会議員のあなたが四六時中育児をする訳ではないから、このような発言が可能なのだと推測する。 おそらく、多大な国会議員歳費特権から優秀なベビーシッターを雇用してその人物に子育てのすべてを任せ、あなたは時折その成長を見ては「いい子に育ってるね」と微笑めば済む立場の“お気軽母親”を全うするつもりなのであろう。
ここで、産まれて来る野田氏の息子さんの立場になって推測発言するに、「僕は母のDNAを受け継いでいないし、僕を育ててくれるのも見知らぬベビーシッターだよ。 まるで僕は昔の封建制度の下でこの家を継ぐべく養子に来た犠牲者のごとくだ。僕の存在って一体何なの?……」 との悲痛な叫びが聞こえてきそうである。
今の時代、あの“天皇家の愛子ちゃん”とて小学校での“いじめ”に苦しむべく世が退廃している現状を、子どもを産むことのみに躍起になっている野田氏は自身の問題として実感できているのであろうか?
子育てとは(たとえ自分が国会議員という恵まれた立場にあると思っていようが)そんなに甘い時代ではないとアドバイスしたくもなる。
子どもを産んだ達成感など、産んだ瞬間にぶっ飛んでしまうものである。 その後の親に課せられるのは、産んだ子どもの人権を一生かけて守り抜くことのみである。
国会議員であれ如何なる立場であれ、子を持つ親の果すべく使命とは共通であるはずだ。
自分のDNAを受け継いでいない子どもの誕生、加えて“超高齢出産”となれば親である自身の老後に及んで尚その使命が続く訳であるが、その現状をどれ程自己責任として捉えられた上で人工授精に及んだのか……
大変失礼かつ老婆心ながら、3ヵ月後に産まれて来る野田氏の息子さんの成長の行く先に暗雲が立ち込めている感覚がどうしても拭えない思いの原左都子である。