原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

庶民が返せない金を貸さない体制作りを

2012年08月18日 | 時事論評
 政府や自治体が社会保障のスローガンの下、生活保護対象者にさほどの自助努力を促さずしてそれを「量産」し続ける実態には辟易とさせられる。
 その事実に反論を唱え続ける原左都子であることに関しては、本エッセイ集バックナンバーに於いて何度か綴り公開している。

 生活資金を全面的に“血税”に依存する事により命を繋いでいる「生活保護者」と比べると、とりあえず“借金”という形で資金を得ている庶民はまだしも許される対象なのか?

 それにしても、近年の世のキャッシング動向は凄まじいものがある。
 ネットを開くと、キャッシングしませんか?  クレジットの支払いをリボ払いにするとポイントが沢山溜まります!  等々、庶民に「借金」を煽る文言ばかりである。


 ここで原左都子の個人的志向を述べると、私は子どもの頃から大の「借金」嫌いである。
 何のための資金であれ、必ずや目標額を蓄積した後に購買行動に出て来ている。 そんな悠長な事をしていたら、欲しい時タイムリーに欲しい物が手に入らないのではないのか? とのご心配を頂きそうだ。
 ところが、私の場合その種の心配はまったく御無用である。 本エッセイ集「お金」カテゴリーバックナンバーにおいて再三述べているが、私には子どもの頃から“貯蓄趣味”があるのだ。
 こんな趣味を暴露すると、我が“変人素養”及び“貧乏気質”を公開しているだけの話かもしれないが、子ども心に手元にお金が増えていく事が実に快感だったのは確かだ。 小学生の頃夏休みに学校で集団購入する「肝油ドロップ」の空き缶の中に小遣いに貰った小銭を貯め始めた事をきっかけに、それは紙幣に形を変えて増え続けた。 ある程度まとまった紙幣を高校生の時に自分で郵便局へ持参して“郵便貯金”通帳を作成した。(当時は、子どもでも誰でも個人情報確認なしに預金通帳が作成できたと記憶しているが。)

 社会人となった後も、私の“貯蓄趣味”はその桁を増強しつつ続行する。
 24歳位の頃だっただろうか? 私は当時の趣味だった“エレクトーン”の最新型機種をどうしてもゲットしたく思いそれを実行した。 売り場にて80数万円のその機種を“ボーナス一括払い”決済したいと申し出たものの、この若き年齢でその額のボーナスが支給される訳がないと勘ぐられたのだろうか??  売り場から保証人を付けて欲しいと言われ郷里の親を保証人にしたところ、早速親元に確認の電話が行ったらしい。 その直後親から「エレクトーンを買ったんだって?」との電話が届いた。 当時医学専門職の私は現実に1回のボーナスでその額を超える支給があったし、それ以上に手元に預貯金を積んでいたのに何で親元にまで電話されるの! と実に鬱陶しい思い出として記憶している。

 その後30歳にして未だ独身だった私は、分譲マンションを購入した。
 既に全額現金購入可能な額の預貯金が手元にあったが、税務対策により一部ローンを組み独身時代に独力でローン完済した。
 時が流れ晩婚後、諸事情により数回に及ぶ所有物件買換え転居を余儀なくされたが、夫婦共有物件分譲マンションのローンはすべて3年以内で完済してきている。 晩婚故に身内が定年退職後に我が娘は大学へ入学と相成ったが、その4年間の学費に関しても計画的に蓄積した後に大学へ入学させている。
 
 以上は、「原左都子エッセイ集」“お金”カテゴリーに於いて公開済エッセイの重複である事をお詫びする。
 このような記述をすると、“元々ある程度裕福な家庭の出身だからそのような事が可能だったのではないか?”なる反応が届きそうだが、それは絶対違う。 我が実親は両親共に過疎地自治体地方公務員を定年まで全うし、親自体は不自由のない老後を迎えたようだが、娘らに対する教育方針はあくまでも「自立して一人で生きていく力を自分自身で培え!」だった。 その教えに沿って私(及び米国在住の姉)は自立人生を歩み続け、親からの援助などただの一銭も受けていない。
 片や、晩婚後身内の実家よりまとまった額の支援を得た事に関しては否定しない。 それでも、義母が既に要介護の身となりケア施設へ入居した現在、我が一家は今後自立の道を歩み続ける予定である。 


 ついつい原左都子の私事が長引いてしまったことをお詫びする。

 それにしても、返せないお金を借りてまで人生をエンジョイしよう!との文化がこの国で流行ったのはいつの頃からなのか? 
 おそらくそれはバブル時代に端を発しているのだろうが、世界的経済危機のこの期に及んで、何故大手金融機関までがそれに次々参入して庶民に「借金」を煽り続けるのか??
 “貸す側”のその行為こそが自暴自棄であり、やがて国家を滅ぼすと私は判断するが…。

 例えば、大学入学生に貸与される「奨学金制度」などその最たるものではあるまいか?
 奨学金の事例の場合、一般のキャッシングのごとく一時の人生エンジョイ短絡目的ではなく、その分野が“学生の学問意欲及び将来生きる糧”に繋がっているためキャッシングとしては合法と判断され易いのであろう。
 ところがその実態とは、大学卒業後就職した企業が倒産等により職を失った元学生達が奨学金を滞納したり、返済できない結末が多発状態である。

 朝日新聞7月13日報道では、日本の学生が何故大学卒業後奨学金返済を実行できないのかに関して、それは米国の学生と比較して“金融教育”や“将来設計能力”が劣っているとの調査結果を示している。


 いやはや、原左都子もまったく同感である。
 我が金銭感覚など、子どもの頃から(親の教育力の下)自分自身で培ってきたものだ。 その背景として我が親の育て方がどうだったのかとの疑問もあるが、とにかく私はおそらく一生に渡り一人で生きていける程の金銭感覚を身に付けた人生を歩んでいると自己評価する。
 
 バックナンバーでも再三述べたが、自分が産んだ子どもを大学まで進学させたいのならば、通常はその資金は親が全額負担するべきであろう。(原左都子のごとく、子どもの頃から貯蓄が趣味とのよほどの変態子どもを持つ親を除外すれば!??)

 それにしても、誰も彼もに奨学金を「貸与」するこの世のシステムこそを見直すべきではあるまいか。 これ程の経済難、就職難の現状に於いて、「貸与奨学金」を返済できない若者が今後続出すること間違いない。

 奨学金とは本来「給与」であるべきだ。 昔はこれが奨学金の基本だったと私は心得る。 
 それ相応の学力ある学生・生徒のみに奨学金を給与するシステムに見直しては如何か?