昨日(12月8日)の日曜日、私は娘を伴って東京有楽町で開催された某東証一部上場きもの会社主催の「きもの博覧会」へ出かけた。
決して和服を着る趣味がある訳ではない原左都子だが、今年はたち(20歳)を迎えた娘のために、当該きもの会社で振袖一式を仕立てた縁で“友の会”登録をした。 それにより“きもの博覧会”関連イベントへの招待状が我が手元に随時届き、幾度か参加させていただいているとのいきさつだ。
昨日開催されたイベントは、今まで私が参加したきもの博覧会の中で最大規模だった。
我が担当係員氏案内により大勢の友の会会員でごった返す会場内を巡りつつ、私の脳内には“ある種の階級差コンプレックス”が巡り始める…
(そもそも和服など“超高価”であることを重々承知の上で、何故私は娘を引きつれこんな会場へ足を運んでしまっただのだろう?? 今時の民衆とは着ている服や外見でその階級のレベルを察知しにくい事など重々承知の上だ。 そうだとしてもおそらく会場内の周囲の皆さんは、ウン十万あるいはウン百万円もの値が張る和服類を是非買い求めたい意向に加えその経済力を伴って来場しているのだろうなあ……。)
いやはや勘弁願いたいものだ。 そんな金持ち連中がこぞって出資したいとの趣味用途に使うカネなど、原左都子には一銭もないよ~~~。
などと思いつつ、我が担当係員氏が誘ってくれた「江戸紅型(びんがた)」コーナーの細かいピンク系模様が隅々まで施された反物に唸ってしまった。 早速別の女性係員氏に帯をはじめ小物類のコーディネート着付けを鏡の前でしていただくと、私も娘も予想以上によく似合っているではないか!?!
その後も引き続き会場内その他コーナーを係員氏の誘導により巡りつつ、私の脳裏から「江戸紅型」のピンク系の反物が離れない。 あちこちを右往左往した挙句、係員氏に今一度そのコーナーへ舞い戻ってもらい、「江戸紅型」一式を母娘で共用することを目的に買い求める決断と相成った!
(今回発注した「江戸紅型」訪問着一式が仕立て上がった時点で、本エッセイ集に於いてその写真影像を公開する予定でおります。)
それにしても“ちまちま貯金力”はあるものの、今に至っては大した経済力もない原左都子にして、きもの博覧会会場にて大枚をはたいてしまった事態に現在反省しきりである…
高価な和服などを衝動買いした暁には、今後更なる“チマチマ生活”を営むしか方策がない……
さてさて、そんな原左都子も過去に於いて「階級差」付き合いなるものを幾度か経験している。
その中の、とある一女性とのお付き合いに関して以下に記そう。
我が30代後半の公立高校教員時代に知り合った同僚である某女性教員氏の経歴を、ここで簡単に紹介するならば…。
元々関西地域の名門百貨店を経営する家庭の一女として出生し後に名門女子大学卒業後、新宿超高層ビルを保有している某一部上場企業役員男性と婚姻に至っている。 その後若き時代に夫氏の海外転勤に妻子が伴い何年かの後帰国した後、その女性は自分の専門力を活かしたい!との意思で公立高校一教員を志したとのいきさつだ。(超お嬢様が何を血迷ったか、よくぞまあ公立の教員などをやる気になったものだ…)
その後私は当該公立高校に教員として就任し、上記女性教員氏と知り合った。 新任して来たばかりの既に30代半ばで未だ独身の私に、この女性は何の違和感も無く快く接してくれた。(後で思えば、当該女性が海外生活等をこなし視野が広かったのがその最大の要因かとも考察する。) その女性は類稀なお嬢様経歴やそれにより培ったキャラ故に、一部の生徒や教員から敬遠されていた印象はあるものの、私にとっては公私共々素晴らしい先輩であられた。 何度かご自宅にも訪問し、手作りの料理等をご馳走になる仲だった。
そんな両者関係のお陰で、私側が「階級差」なる言葉を一度も意識せずに済んだ事が印象深い。 お互いに教員退職後もずっと連絡を取り続けていたのに、突然の癌による死去により今はもうお会いできないことが残念だ…。
今回このテーマのエッセイを綴るきっかけを得たのは、本エッセイ集で毎度おなじみの朝日新聞別刷「be」“悩みのるつぼ”である。
11月16日版「友人との会話の『階級』困惑」との題目の相談を寄せたのは50代女性であるようだ。
何でも、この女性はセレブ開業医同年代女性との付き合いに悩んでいるとの事だ。
この相談に応えたのは、経済学者の金子勝氏である。
その題目だけ紹介するならば、 「2人はかけ離れていないのでは」
その結論部分のみをここで紹介すると、「ありのままを出して付き合えばよいのではないでしょうか。 恥ずかしいことなど何もありません。」
最後に原左都子の私論で締めくくろう。
あらゆる人間関係において、上記金子勝氏がおっしゃる通り片方が「恥ずかしい」思いを抱く関係など存在してはならない。 如何なる交友関係にあっても、ありのままの自を出し合ってお互いに付き合えばよいに決まっている。
そうであるにもかかわらず、付き合っている相手に対して「恥ずかしい…」などと卑下する場面が少しでもあるとするならば、そんな関係は自然と早期に崩れ去る運命にあろう。
だからこそ人間関係など「自然体」でよいのではあるまいか? これこそが原左都子が以前より訴え続けている私論結論である。
無理や歪みがある人間関係か否かを自分では判断しかねようが、それでも何故か相手との関係が長年続くとしたならば、その根底に信頼関係が紡がれている証拠と判断してもよいのかもしれない。
要するに「階級差」どうのこうのよりも、もっと根底部分にある人間関係を繋ぎ止める人格面での共通項が両者間に存在し得るならば、その関係は長く続くということであろう。
おっとっと。 それはそうとして、明日は早速昨日きもの博覧会会場で衝動買いした「江戸紅型」訪問着一式代金を、札束を持参して 全額現金一括払いにて納めに行かねばならない…。
この価格が乗用車1台分である事実が、ちと辛いが…
決して和服を着る趣味がある訳ではない原左都子だが、今年はたち(20歳)を迎えた娘のために、当該きもの会社で振袖一式を仕立てた縁で“友の会”登録をした。 それにより“きもの博覧会”関連イベントへの招待状が我が手元に随時届き、幾度か参加させていただいているとのいきさつだ。
昨日開催されたイベントは、今まで私が参加したきもの博覧会の中で最大規模だった。
我が担当係員氏案内により大勢の友の会会員でごった返す会場内を巡りつつ、私の脳内には“ある種の階級差コンプレックス”が巡り始める…
(そもそも和服など“超高価”であることを重々承知の上で、何故私は娘を引きつれこんな会場へ足を運んでしまっただのだろう?? 今時の民衆とは着ている服や外見でその階級のレベルを察知しにくい事など重々承知の上だ。 そうだとしてもおそらく会場内の周囲の皆さんは、ウン十万あるいはウン百万円もの値が張る和服類を是非買い求めたい意向に加えその経済力を伴って来場しているのだろうなあ……。)
いやはや勘弁願いたいものだ。 そんな金持ち連中がこぞって出資したいとの趣味用途に使うカネなど、原左都子には一銭もないよ~~~。
などと思いつつ、我が担当係員氏が誘ってくれた「江戸紅型(びんがた)」コーナーの細かいピンク系模様が隅々まで施された反物に唸ってしまった。 早速別の女性係員氏に帯をはじめ小物類のコーディネート着付けを鏡の前でしていただくと、私も娘も予想以上によく似合っているではないか!?!
その後も引き続き会場内その他コーナーを係員氏の誘導により巡りつつ、私の脳裏から「江戸紅型」のピンク系の反物が離れない。 あちこちを右往左往した挙句、係員氏に今一度そのコーナーへ舞い戻ってもらい、「江戸紅型」一式を母娘で共用することを目的に買い求める決断と相成った!
(今回発注した「江戸紅型」訪問着一式が仕立て上がった時点で、本エッセイ集に於いてその写真影像を公開する予定でおります。)
それにしても“ちまちま貯金力”はあるものの、今に至っては大した経済力もない原左都子にして、きもの博覧会会場にて大枚をはたいてしまった事態に現在反省しきりである…
高価な和服などを衝動買いした暁には、今後更なる“チマチマ生活”を営むしか方策がない……
さてさて、そんな原左都子も過去に於いて「階級差」付き合いなるものを幾度か経験している。
その中の、とある一女性とのお付き合いに関して以下に記そう。
我が30代後半の公立高校教員時代に知り合った同僚である某女性教員氏の経歴を、ここで簡単に紹介するならば…。
元々関西地域の名門百貨店を経営する家庭の一女として出生し後に名門女子大学卒業後、新宿超高層ビルを保有している某一部上場企業役員男性と婚姻に至っている。 その後若き時代に夫氏の海外転勤に妻子が伴い何年かの後帰国した後、その女性は自分の専門力を活かしたい!との意思で公立高校一教員を志したとのいきさつだ。(超お嬢様が何を血迷ったか、よくぞまあ公立の教員などをやる気になったものだ…)
その後私は当該公立高校に教員として就任し、上記女性教員氏と知り合った。 新任して来たばかりの既に30代半ばで未だ独身の私に、この女性は何の違和感も無く快く接してくれた。(後で思えば、当該女性が海外生活等をこなし視野が広かったのがその最大の要因かとも考察する。) その女性は類稀なお嬢様経歴やそれにより培ったキャラ故に、一部の生徒や教員から敬遠されていた印象はあるものの、私にとっては公私共々素晴らしい先輩であられた。 何度かご自宅にも訪問し、手作りの料理等をご馳走になる仲だった。
そんな両者関係のお陰で、私側が「階級差」なる言葉を一度も意識せずに済んだ事が印象深い。 お互いに教員退職後もずっと連絡を取り続けていたのに、突然の癌による死去により今はもうお会いできないことが残念だ…。
今回このテーマのエッセイを綴るきっかけを得たのは、本エッセイ集で毎度おなじみの朝日新聞別刷「be」“悩みのるつぼ”である。
11月16日版「友人との会話の『階級』困惑」との題目の相談を寄せたのは50代女性であるようだ。
何でも、この女性はセレブ開業医同年代女性との付き合いに悩んでいるとの事だ。
この相談に応えたのは、経済学者の金子勝氏である。
その題目だけ紹介するならば、 「2人はかけ離れていないのでは」
その結論部分のみをここで紹介すると、「ありのままを出して付き合えばよいのではないでしょうか。 恥ずかしいことなど何もありません。」
最後に原左都子の私論で締めくくろう。
あらゆる人間関係において、上記金子勝氏がおっしゃる通り片方が「恥ずかしい」思いを抱く関係など存在してはならない。 如何なる交友関係にあっても、ありのままの自を出し合ってお互いに付き合えばよいに決まっている。
そうであるにもかかわらず、付き合っている相手に対して「恥ずかしい…」などと卑下する場面が少しでもあるとするならば、そんな関係は自然と早期に崩れ去る運命にあろう。
だからこそ人間関係など「自然体」でよいのではあるまいか? これこそが原左都子が以前より訴え続けている私論結論である。
無理や歪みがある人間関係か否かを自分では判断しかねようが、それでも何故か相手との関係が長年続くとしたならば、その根底に信頼関係が紡がれている証拠と判断してもよいのかもしれない。
要するに「階級差」どうのこうのよりも、もっと根底部分にある人間関係を繋ぎ止める人格面での共通項が両者間に存在し得るならば、その関係は長く続くということであろう。
おっとっと。 それはそうとして、明日は早速昨日きもの博覧会会場で衝動買いした「江戸紅型」訪問着一式代金を、札束を持参して 全額現金一括払いにて納めに行かねばならない…。
この価格が乗用車1台分である事実が、ちと辛いが…