去る3月22日、防衛大学卒業式に関するテレビニュースを視聴していた私は、内閣総理大臣かつ自衛隊最高指揮官の立場で訓辞を述べた安倍総理の、今後の国家安全保障に関する発言内容の大いなる「偏り」に辟易とさせられた。
冒頭より私事を記させて頂こう。
私の従弟が防衛大学出身者であり、現在防衛庁のトップ幹部として活躍中である。
(参考のため、民主党政権時代に蓮舫氏が政権の売りとして“事業仕分け”を高らかに実施していた頃、防衛庁幹部の立場で事業仕分け特番のテレビ出演もこなしている。)
この従弟、我が血縁親戚筋の中でも1,2位を争う秀才だった事は間違いないのだが、現役にて京都大学及び防衛大学に合格した。 当然京大へ進学するのかと思いきや、本人が進路として最終決定したのは、なんと! 防衛大学だった。
特段生活に貧窮している家庭ではなく、また、至って穏やかかつユーモアセンスもある従弟が何故防衛大学を進路としたのかに関しては、さほどの深い付き合いが無かった私には今尚未知数だ。
防衛庁トップに君臨している現在たまに電話で話す機会があるが、昔と変わらぬユーモアセンスに双方が笑い転げる始末だ。 私の解釈としては、(従弟の真の国家安全保障上のポリシーは未だ不明だが)この一見柔和で人懐こい人格をもって、虎視眈々と防衛庁の上位まで上り詰めたものと推測している。
私事が長引いたが、安倍総理の平成26年度防衛大学卒業式での訓辞内容を、ネット情報を参照しつつ以下に紹介しよう。
本日、伝統ある防衛大学校の卒業式に当たり、今後、我が国の防衛の中枢を担う諸君に対して心からのお祝いを申し上げる。
その日のガダルカナル島には、70年前と同じように雲一つなく、強い日差しが降り注いでいたそうだ。 昨年秋、練習艦「かしま」のタラップをのぼる諸君の先輩たちの胸には、かの地で収容された百三十七柱の御遺骨がしっかりと捧持されていた。 遠い異国の地において祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら戦場で倒れられた多くの尊い命。そのご冥福を、戦後70年という節目の年に幹部自衛官への道を踏み出す諸君たちと共に、お祈りしたい。
その尊い犠牲の上に、我が国の現在の平和がある。二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。私たちにはその大きな責任がある。
戦後、我が国はひたすらに平和国家としての道を歩んきた。 しかし、それは「平和国家」という言葉を唱えるだけで、実現したものではない。 自衛隊の創設、日米安保条約の改定、そして国連PKOへの参加。 国際社会の変化と向き合い、憲法が掲げる平和主義の理念のもと、果敢に「行動」してきた先人たちの努力の賜物である。私はそう考える。
「治に居て、乱を忘れず」
自衛隊そして防衛大学校の創設の父でもある吉田茂元総理が、防大一期生に託した言葉だ。 「昨日までの平和」は「明日からの平和」を保障するものではない。 「不戦の誓い」を現実のものとするためには、私たちもまた先人たちに倣い、決然と「行動」しなければならない。
それ故、いわゆるグレーゾーンに関するものから集団的自衛権に関するものまで、切れ目のない対応を可能とするための法整備を進めている。
「行動」を起こせば批判にさらされる。 過去においても、「日本が戦争に巻き込まれる」といった、ただ不安を煽ろうとする無責任な言説が繰り返されてきた。しかし、そうした批判が荒唐無稽なものであったことは、この70年の歴史が証明している。 「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め、もって国民の負託にこたえる」 この宣誓の重さを、私は最高指揮官として、常に心に刻んでいる。
自衛隊員に与えられる任務は、これまで同様、危険の伴うものだ。 しかし、その目的はただ一つ。すべては、国民の命と平和な暮らしを守り抜くため。そのことにまったく変りはない。
その強い使命感と責任感を持って、これから幹部自衛官となる諸君には、それぞれの現場で隙のない備えに万全を期し、国防という崇高な任務を全うして欲しい。
(以下は略するが、以上防衛大学本年度卒業式にて安倍首相が卒業生へ贈った訓辞より一部を要約引用ししたもの。)
上記の安倍首相による防衛大学卒業式にての訓辞に対し、早速野党から反論が展開された様子だ。
それに関しても、ネット情報より引用しよう。
民主党の枝野幹事長は3月23日、安倍首相が22日の防衛大学校卒業式で 「過去にも『日本が戦争に巻き込まれる』という、ただ不安をあおろうとする無責任な言説が繰り返されてきた」と述べたことに関し、「(首相の批判する言説が)ブレーキとして働き、緊張関係とバランスの中で戦後70年の平和が作りあげられた。 首相こそが、歴史をしっかり学ぶ必要があるのではないか」と批判した。
民主党は今後、政権批判のターゲットとして首相の歴史認識を取り上げていく方針で、4月には昭和史を研究している近現代史研究会(座長=藤井裕久元財務相)の活動を再開させる。 首相が今夏に発表する戦後70年談話について国会で議論するため、党の考え方をまとめるという。
原左都子の私論でまとめよう。
まさに民主党枝野氏の発言通り、内閣総理大臣である安倍氏本人が戦中戦後時代に日本国民及び近隣諸国が置かれていた悲惨な事態に関し、あくまでも“庶民の立場”に立った歴史感覚を学び直すべきではあるまいか?
安倍氏とは、いつまで経っても自分が恵まれた政治家一族だった事実から精神構造が解放されないようだ…。
最後に防衛大学へ進学した我が従弟の現実を記そう。
あの子(と表現するのも、私より10歳程年下なのだが)、穏やかで心優しくユーモアセンス抜群(かつ頭脳明晰)だからこそ、厳しい環境下にある現在の防衛庁内に於いて、現在幹部トップにのし上がっているようにも想像する。
もしも、我が従弟が安倍氏と同類の“頭でっかちの分からず屋単細胞”にして部下に対し「皆で戦争に行こう!」などと一度でものたまったならば、防衛庁との組織からとっとと排除される運命だったような気もする……
頭でっかちなど組織最上部の“口ばかりで実質何の役にも立たない”立場で済む人種のみに留めて欲しいとの、世界中の末端人民からの切なる希望ではなかろうか…
防衛庁(自衛隊)末端職員氏達に関しては、今後共“自分の命を守る”事を第一義として職務に専念して欲しい思いだ。
冒頭より私事を記させて頂こう。
私の従弟が防衛大学出身者であり、現在防衛庁のトップ幹部として活躍中である。
(参考のため、民主党政権時代に蓮舫氏が政権の売りとして“事業仕分け”を高らかに実施していた頃、防衛庁幹部の立場で事業仕分け特番のテレビ出演もこなしている。)
この従弟、我が血縁親戚筋の中でも1,2位を争う秀才だった事は間違いないのだが、現役にて京都大学及び防衛大学に合格した。 当然京大へ進学するのかと思いきや、本人が進路として最終決定したのは、なんと! 防衛大学だった。
特段生活に貧窮している家庭ではなく、また、至って穏やかかつユーモアセンスもある従弟が何故防衛大学を進路としたのかに関しては、さほどの深い付き合いが無かった私には今尚未知数だ。
防衛庁トップに君臨している現在たまに電話で話す機会があるが、昔と変わらぬユーモアセンスに双方が笑い転げる始末だ。 私の解釈としては、(従弟の真の国家安全保障上のポリシーは未だ不明だが)この一見柔和で人懐こい人格をもって、虎視眈々と防衛庁の上位まで上り詰めたものと推測している。
私事が長引いたが、安倍総理の平成26年度防衛大学卒業式での訓辞内容を、ネット情報を参照しつつ以下に紹介しよう。
本日、伝統ある防衛大学校の卒業式に当たり、今後、我が国の防衛の中枢を担う諸君に対して心からのお祝いを申し上げる。
その日のガダルカナル島には、70年前と同じように雲一つなく、強い日差しが降り注いでいたそうだ。 昨年秋、練習艦「かしま」のタラップをのぼる諸君の先輩たちの胸には、かの地で収容された百三十七柱の御遺骨がしっかりと捧持されていた。 遠い異国の地において祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら戦場で倒れられた多くの尊い命。そのご冥福を、戦後70年という節目の年に幹部自衛官への道を踏み出す諸君たちと共に、お祈りしたい。
その尊い犠牲の上に、我が国の現在の平和がある。二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。私たちにはその大きな責任がある。
戦後、我が国はひたすらに平和国家としての道を歩んきた。 しかし、それは「平和国家」という言葉を唱えるだけで、実現したものではない。 自衛隊の創設、日米安保条約の改定、そして国連PKOへの参加。 国際社会の変化と向き合い、憲法が掲げる平和主義の理念のもと、果敢に「行動」してきた先人たちの努力の賜物である。私はそう考える。
「治に居て、乱を忘れず」
自衛隊そして防衛大学校の創設の父でもある吉田茂元総理が、防大一期生に託した言葉だ。 「昨日までの平和」は「明日からの平和」を保障するものではない。 「不戦の誓い」を現実のものとするためには、私たちもまた先人たちに倣い、決然と「行動」しなければならない。
それ故、いわゆるグレーゾーンに関するものから集団的自衛権に関するものまで、切れ目のない対応を可能とするための法整備を進めている。
「行動」を起こせば批判にさらされる。 過去においても、「日本が戦争に巻き込まれる」といった、ただ不安を煽ろうとする無責任な言説が繰り返されてきた。しかし、そうした批判が荒唐無稽なものであったことは、この70年の歴史が証明している。 「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め、もって国民の負託にこたえる」 この宣誓の重さを、私は最高指揮官として、常に心に刻んでいる。
自衛隊員に与えられる任務は、これまで同様、危険の伴うものだ。 しかし、その目的はただ一つ。すべては、国民の命と平和な暮らしを守り抜くため。そのことにまったく変りはない。
その強い使命感と責任感を持って、これから幹部自衛官となる諸君には、それぞれの現場で隙のない備えに万全を期し、国防という崇高な任務を全うして欲しい。
(以下は略するが、以上防衛大学本年度卒業式にて安倍首相が卒業生へ贈った訓辞より一部を要約引用ししたもの。)
上記の安倍首相による防衛大学卒業式にての訓辞に対し、早速野党から反論が展開された様子だ。
それに関しても、ネット情報より引用しよう。
民主党の枝野幹事長は3月23日、安倍首相が22日の防衛大学校卒業式で 「過去にも『日本が戦争に巻き込まれる』という、ただ不安をあおろうとする無責任な言説が繰り返されてきた」と述べたことに関し、「(首相の批判する言説が)ブレーキとして働き、緊張関係とバランスの中で戦後70年の平和が作りあげられた。 首相こそが、歴史をしっかり学ぶ必要があるのではないか」と批判した。
民主党は今後、政権批判のターゲットとして首相の歴史認識を取り上げていく方針で、4月には昭和史を研究している近現代史研究会(座長=藤井裕久元財務相)の活動を再開させる。 首相が今夏に発表する戦後70年談話について国会で議論するため、党の考え方をまとめるという。
原左都子の私論でまとめよう。
まさに民主党枝野氏の発言通り、内閣総理大臣である安倍氏本人が戦中戦後時代に日本国民及び近隣諸国が置かれていた悲惨な事態に関し、あくまでも“庶民の立場”に立った歴史感覚を学び直すべきではあるまいか?
安倍氏とは、いつまで経っても自分が恵まれた政治家一族だった事実から精神構造が解放されないようだ…。
最後に防衛大学へ進学した我が従弟の現実を記そう。
あの子(と表現するのも、私より10歳程年下なのだが)、穏やかで心優しくユーモアセンス抜群(かつ頭脳明晰)だからこそ、厳しい環境下にある現在の防衛庁内に於いて、現在幹部トップにのし上がっているようにも想像する。
もしも、我が従弟が安倍氏と同類の“頭でっかちの分からず屋単細胞”にして部下に対し「皆で戦争に行こう!」などと一度でものたまったならば、防衛庁との組織からとっとと排除される運命だったような気もする……
頭でっかちなど組織最上部の“口ばかりで実質何の役にも立たない”立場で済む人種のみに留めて欲しいとの、世界中の末端人民からの切なる希望ではなかろうか…
防衛庁(自衛隊)末端職員氏達に関しては、今後共“自分の命を守る”事を第一義として職務に専念して欲しい思いだ。