原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

学校の先生達よ、通知表は真心こめて書こう!

2015年03月30日 | 教育・学校
 近頃、学校の先生(おそらく小中高校)向きの、通知表「ネタ本」とやらの売れ行きが芳しいらしい。


 冒頭から私事だが、原左都子にも教員経験がある。

 私の場合過去に於いて高校教諭の立場で公立高校(及び非常勤講師として私立高校)の教育現場を経験している。 その時代、私にとって一番の得意分野だったのが生徒との交流である。
 何分民間企業経験を積み、その後大学(及び大学院)へ再入学して若き学生達とも合いまみえ、その間勤労学生として数ある派遣社員及びアルバイト稼業もこなして来た。
 これらの経験が、その後の我が教員生活に大いに役立った事に間違いない。

 30代後半時期に私は公立高校教諭を任命された。
 元々学校嫌いの私は教員との職種に対し咄嗟に“アレルギー反応”を起こしたものの、“逆縁故”(要するに大学を管轄している自治体から大学を通しての半強制的教員任命だったのだが。)を受諾せねばならない運命を悟った。

 そして出向いた高校現場には、予想に反して、実に“愛すべき子供達”が私を待ち構えていたのだ!   何が可愛いとて、(一部を除き)ほとんどの生徒が私に懐いてくるのだ。 これは予想外のサプライズ出来事だった。
 事を遡ると、私は30歳にして入学した大学にて「教員免許」を取得した。 その際、高校現場で「教育実習」を体験した時にも、生徒達に慕われ懐かれる事は既に経験していた。
  
 ここで私見だが、当時の高校現場に於いては、民間経験がある私のような人材が若気の至りの生徒達にとっておそらく“斬新”だったのではなかろうか?  日々精一杯のお洒落をしてニコニコ笑顔で教壇に立つ私の姿は、学校現場に於いては異質な存在だったであろう。 (教員達から、私の格好が“教員として相応しくない”とのマイナス評価が届いた事もある。 これに対して私が黙っている訳もなく、反論もしたが。)  私側としては、大変失礼は承知だが当時の公立高校現場の教員達とは(一部の例外を除き)旧態依然とした風貌、かつ過去の権威的教員気質を抜け出ていない感覚を抱かされたものだ。
 (参考のため我が娘は私立中高校へ通ったが、教員全員がスーツ着用、男性教員はネクタイを強制されていた。これぞ教壇に立つ教員の礼儀と私も心得る。

 教員初日から人懐こい生徒達に安堵と感激を貰った私は、その後生徒達との交流を主たる柱として教員生活を進めた。 
 とりあえずは私に懐いてくる生徒達と仲良くなる事を実行する一方、時間の経過と共に“懐かない生徒”への対応を強化するべきと推し量った。 
 何と言っても教員にとって自分に懐く生徒への対応は容易だ。 放っておいてもあちらからコミュニケーションを取りに来る。  同時に、懐きはしないが授業中には反応を示す生徒も意外と扱い易い。この種の生徒も結果として“懐く生徒”に分類することとした。 
 そして私は果敢にも、教員には“一切懐かない生徒”に対し行動を起こした。
 これぞ大変な作業だったが、とりあえず授業中にそれら生徒への問いかけを積極的に行い続けた。 これらの生徒達とは小中高と今に至るまで教室内で教員からずっと放置されていたのであろう事実にこそ、私は着眼したのだ。  力を得たのは、教室内生徒の誰しもが教員である私の行動を見守り続けてくれた事実だ。 恐らく生徒側にも“あの子は教員からずっと放置されている”なる共通認識があったのではなかろうか……


 話題を冒頭に戻そう。

 担任教員が通知表記載に困惑する生徒とは、実は教員が普段コミュニケーションが取れていない生徒に対してではなかろうか?
 特に小中学校レベルに於いては、教員が普段コミュニケーションを取り易い児童生徒、及び品行方正かつ学業成績良好な生徒に関しては、すぐさま通知表記載が叶うことであろう。
 ところがこれが一旦日頃まったく接しておらずただの一度も会話すらした事が無い生徒に関して、通知表が書き辛いとの事ではあるまいか??

 実は我が娘も小中高校時代に於いて、一部を除きほとんどこの種の担任ばかりに当たったと言って過言ではない。
 どうした事か、クラスの一員生徒である我が娘に対し、1年間に一言も言葉をかけられない担任に幾度となく出会っている。
 確かに一教室に40名程の生徒がいれば、そのうちの誰かには一度も声掛けをしないとの教員がいても不思議ではないとの今の時代背景か!??
 ただ教員経験がある私に言わせてもらうならば、それで学級担任が務まるとでも思っているのか!? はたまた教員として生き延びられるのか!と言いたいところだ。
 一体全体、国家や自治体が教員採用に関して何をポリシーとしているのかも不明だ。

 しかも現在の(義務教育を含めた)学校の先生達が、通知表記載に当たり「ネタ本」を参照しているとのお粗末な実情…
 これぞ、普段生徒達とのコミュニケーション能力に欠ける教員どもが量産され続けている事態を証明した現象に過ぎないのではなかろうか??


 最後に原左都子の私論でまとめよう。
 
 義務教育学校現場等々、未だ成人に達していない子供達の教育を担当するプロ職業人に欠かせない能力とは、“子供一人一人とのコミュニケーション力”である事に間違いないのではあるまいか?
 特に教員相手にコミュニケーションを取りにくい子供達に対し、教員の方からこそコミュニケションをとれる能力発揮可能な人材の育成こそが、現在一番に求められていると私は推察する。 

 コミュニケーション力に乏しい少数派の児童をも顧みれるキャパシティが小中校教員採用者に元より備わっていて、少なくとも自分が受け持つ生徒皆を愛せる力量があるならば…
 本来教員にとって愛すべく生徒達に対し、表題に掲げた“通知表記載事項”を「ネタ本」に頼るなどの馬鹿げた失策を回避可能であろうに…