原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

男との別れ方が下手な女

2017年01月07日 | 恋愛・男女関係
 冒頭からお断りしておくが、今回のエッセイは決して「特定の事件」をターゲットにして論評するものではなく、あくまでも一般論として綴る内容であることを強調しておこう。


 恋愛相手とスマートに別れねば、下手をすると命を失うやもしれぬ物騒な時代である。
 そんな危険な環境下に於いて、特に若き世代の男女は如何なる恋愛行動を取り身を守るべきか?


 早速、私事に入らせて頂こう。

 長き独身時代を謳歌し恋愛三昧を繰り返した私であるが、幸いな事には切羽詰まって身の危険に陥るような出来事には遭遇しなかったと言える。  それもそのはず、そもそも私には結婚願望が希薄だった。 意に沿わぬ恋愛をいつまでも引きずる必然性が無いのだ。

 加えて私には常に「破局の予感」と表現出来そうな感情が背中合わせだった。

 その一例を本エッセイ集 2008.5.25バックナンバー 「傘を返して欲しい…」に於いて綴っているため、以下に一部を要約して再掲載しよう。
 出逢いにはいつも別れが付きまとう。 どうせ別れるのならきれいに後腐れなく別れたいものであるが、なかなかそうはいかないのが別れというものの特質でもある。
 こんな雨が降り続く週末の日曜日には、私の脳裏にひとつの風変わりな“別れ”の記憶がよみがえる。  今日は、そんな若気の至りの別れを少し綴ってみよう。
 ディスコで知り合った彼は美容師だった。 フリーのカリスマ美容師を目指し当時原宿の美容院で修行中の身だった。 片や当時の私は医学分野の専門職サラリーマン。 そんな異文化コミュニケーションが若くて無邪気な私には何とも新鮮で刺激的だった。  (中略)
 ただ私の頭の片隅には、彼との関係は長くは続かないであろうとの不安定感がいつも蔓延っていた。 お互いに自立心旺盛でお互いに自分の夢を描いていて、お互いに自己主張が強過ぎるのだ。  いつかは別れが来る、その別れは意外と早いかもしれないという不安定感が、返って二人の関係を加速させていたのかもしれない。
 そして何ヶ月か経過し、表向きの付き合いの楽しさと脳裏をかすめる不安定感とのギャップはさらに深まっていた。
 ある日、もう潮時かと悟った私の方から別れ話を持ち出す決意をした。 彼の脳裏にも同様の考えはあったはずだ。 だが、唐突に私の方から具体的な別れ話を持ち出された彼は動揺した。 負けん気の強い彼は別れを認める。 それも私は計算済みだった。 そして二人は別れることになり、私は彼の部屋を出ようとした。
 その時、彼が言う。 「傘を返して欲しい…」 と。
 雨の日に彼の部屋から帰る時に借りていた安ビニール傘をまだ返していなかったのだ。「わかった。今度届けに来る。」そう言って私は去った。  後日、私は彼の留守中を狙って彼の部屋を訪れ、鍵のかかった玄関先のドア付近にビニール傘を届けた。傘には再度お別れの手紙を綴って巻き込んでおいた…。
 (以上、原左都子エッセイ集バックナンバーより一部を引用したもの。)

 この事例など、明らかに「破局の予感」があった。 しかもその感情がお互いに内在していた事が幸いして、恋愛早期に綺麗に別れられたのかもしれない。
 いやいや、もちろんの事その後しばらくは彼に対する恋愛感情が覚めず苦しんだものだ。 ただお互いに“仕事での成功”という明瞭な目標があったからこそ、うだうだとぶり返す事無く終焉を迎えることが出来たものと振り返る。


 別の事例を紹介しよう。 
 私には過去に国際恋愛経験があるのだが、それに関してもバックナンバーに於いて綴っている。 以下に、ごく一部のみを紹介する。
 J氏はある深刻な身体的事情を抱えていた。それは「睡眠障害」なのであるが、若かりし頃のドラッグ経験の後遺症であるらしい。 今後も一生抱えていく事情であるという。
 補足説明をすると、1960年代後半頃の米国ではベトナム戦争反戦運動をきっかけにヒッピーが流行り、若者の間でドラッグが蔓延していた。 その頃J氏はちょうど大学生でやはりドラッグを経験したらしい。 このドラッグ問題は当時のアメリカでは大きな社会問題だった。 今尚その後遺症で苦しむ人達は多いとの事だ。
 J氏の口からその話を聞いた直後は、私は米国人としては考え得る話程度に捉え軽めに受け流していた。ところが、その後そのJ氏の後遺症が二人の関係に大きな影を落とすことになる。
 (以上、再びバックナンバーよりごく一部を紹介したもの。)

 上記「傘」の事例が未だ20代前半期だったのに対し、下の国際恋愛は長き独身時代終盤頃の話だ。
 いくら結婚願望が乏しいとは言え、そろそろ自分の生き様の責任を我が事として自覚するべき年代だった。 恋愛相手の持つ事情を共有し抱えるには荷が重すぎる場合、やはり「別れ」を決断するべきと結論付けた。

 特に国際恋愛の場合、両者の間に目に見えない様々な障壁が存在して何ら不思議ではない。 若気の至りで無邪気に国際恋愛に走ることは、大きな危険性を孕むであろう。 
 我が国際恋愛時代から既に20数年の年月が経過し、世界情勢は大きく混乱を来している。 今や世界を自由に行き来出来る時代へ変遷したとは言え、国際恋愛に於いて何らかのトラブルに巻き込まれる事態を想定する視野も必要だろう。 (決して「特定の事件」を取り上げたものではなく、あくまでも一般論範囲での忠告です。)


 昨日のメディアニュース報道では、「粘着質」の男には付きまとわれ易いから要注意、とのアドバイスがなされていた。
 何を持って「粘着質」との言葉を持ち出したのかは私の知ったところではないが、国営放送とも言えるNHKですら、この「粘着質」との言葉を何度も繰り返していた。

 相手が「粘着質」であれどうであれ、恋愛相手との「別れ」とはスマートにこなしたいものだ。
 そのための心得として、まず「破局の予感」を恋愛早期に察知し「別れ」行動に移す事を勧めたい。

 私にとって一番不可解なのは、一旦別れた恋愛相手と何故連絡を取り合って再び会うのか??  との点だ。
 本気で一切未練が無いのならば、例え「別れ話」を再度まとめるためとはいえ、絶対に再会するべきでない。 相手のストーカー資質を応援するようなものだ。 特に嫌でしょうがない相手ならば、あらゆる手段を取って逃げて逃げて逃げ切るべきだ。 

 結局、男(女)と別れるのが下手な女(男)とは、これをやってしまい墓穴を掘っているとしか私の目には映らない。