
(写真は、フィレンチェ アルノ川にて。 余談ですが、ETよりも長い指にご注目! アルノ川が強風だったため単に髪をかき上げた直後の写真ですが、実際私の指は足も含めて異様に長いです。
写真とは実に正直だ…)
私の現在のパスポートは4冊目だ。
思い起こす事今から40年程前の19歳学生時代、夏季休暇を利用して米国西海岸へ1ヶ月間語学短期留学の旅に出たのを皮切りに、その後各国へ出向いたものだ。
4冊目のパスポートがもうすぐ10年目を迎えるが、おそらく次回の旅行時には新たにパスポートを作り替えねばならないだろう。
4冊目のパスポートのページをめくりつつ、ここ9年間の我が旅物語を少し振り返ってみよう。
娘が未だ中学生の時に家族旅行でエジプト・ギリシャを訪れている。
我が娘の名前は私のたっての希望によりギリシャ哲学より命名しているが、その娘を古代ギリシャ哲学の聖地であるプラトンのアカデメイアに引き連れることが旅行の一番の目的だった。 これは自由行動時間内に叶ったものの、所詮団体旅行に参加したとの大いなる制約があり、旅行全般に及んでは主体的に行動出来たか否かに関して課題が残った。
その後娘の造形絵画の恩師である、美術家先生(長はるこ先生、こんなところでご登場頂き大変恐縮ですが)が国際的にご活躍されている事に便乗し、インド、韓国ソウル、アルゼンチンのブエノスアイレスへ連れて行って頂いた。 (と言うよりも、私が勝手に“金魚のウンチ”のごとく、はるこ先生の国際賞授賞式やアートフェア開催に便乗し御邪魔したと言う方が正解だが…)
はるこ先生、お陰様で海外にて実に豊富な経験を積ませて頂いた事に、改めてこの場にて御礼申し上げます。
そして、いよいよ今回のイタリア旅行だ。
名目は娘の大学卒業旅行であるものの、その実は私自身が一人で計画を練り仲介旅行会社と交渉しつつ、主体的な個人旅行として成就した初めての旅行だったと言えよう。
還暦を迎えている私にとって、今回の旅行実行程大変だった事は今までに経験していない。
とにかく計画段階から旅行実行に漕ぎつけるまで、その前準備を完璧にやりこなす作業自体に弱音を吐きそうにもなった。 それが災いして出発前夜に歯痛による歯茎の腫れにともなう微熱が出てしまう始末だ。 夜中中体温を測定し元医学関係者としては微熱段階で経過している事に安堵し、解熱鎮痛剤のお世話になりつつ当然ながら翌朝はイタリア旅行出発実行だ!
別に何てことはない。
成田空港行のリムジンバスに乗った時点から、我が心は既にイタリアに向けてウキウキ気分だ。 機内持ち込み鞄の中にひそめていた追加の解熱鎮痛剤などに頼る必要も何もなく、娘と共に元気にローマ空港へ到着と相成ったものだ。
ここ2週間、全26編に渡って公開させて頂いた原左都子による「イタリア旅行記」だが、それ程に私にとってインパクトがあった今回のイタリア旅行だった。
何と言っても自分自身の力ですべての旅程をまっとう出来たのが、実にうれしい。
今回のイタリア旅行で、私はイタリア(特にフィレンチェ)に“将来住んでもいい”とまでの感想を抱けた事が一番の収穫でもある。
その実行には、数々の障壁を乗り越えねばならないのであろう。
が、実際問題、過去に於いて各国を訪問している私が、この種の感覚に至れたのは今回のイタリア旅行が初めての事だ。
もちろん、言葉の問題は大きい。
ただ自分自身が努力を重ねれば、単身での海外生活も叶う!との実感を得る事が出来た今回の旅行に感謝感激である。
それにしても、旅行中にお世話になったローマ・ピサ・フィレンチェの皆様、ありがとうございました。
留守中家で一人で頑張った亭主や、日頃私に100%依存している高齢の義母と実母の心中はさぞや心細かったであろう。 快く私をイタリアへ行かせてくれた身内3人にも、御礼を言っておこう。
それからそれから、今回の旅行の資金源となった公的年金制度にも御礼を言うべきだろう。 厚生年金を60歳から受給出来るのは昭和30年生まれの私の年代が最後だ。 今後段階的に受給年齢が引き上げられていく。
そして何よりも、我が拙い 「原左都子 イタリア旅行記 全27編」 に2週間もの長きに渡りお付き合い下さいました、gooブログの皆様とFacebookのお友達の皆様、誠にありがとうございました!!



私の現在のパスポートは4冊目だ。
思い起こす事今から40年程前の19歳学生時代、夏季休暇を利用して米国西海岸へ1ヶ月間語学短期留学の旅に出たのを皮切りに、その後各国へ出向いたものだ。
4冊目のパスポートがもうすぐ10年目を迎えるが、おそらく次回の旅行時には新たにパスポートを作り替えねばならないだろう。
4冊目のパスポートのページをめくりつつ、ここ9年間の我が旅物語を少し振り返ってみよう。
娘が未だ中学生の時に家族旅行でエジプト・ギリシャを訪れている。
我が娘の名前は私のたっての希望によりギリシャ哲学より命名しているが、その娘を古代ギリシャ哲学の聖地であるプラトンのアカデメイアに引き連れることが旅行の一番の目的だった。 これは自由行動時間内に叶ったものの、所詮団体旅行に参加したとの大いなる制約があり、旅行全般に及んでは主体的に行動出来たか否かに関して課題が残った。
その後娘の造形絵画の恩師である、美術家先生(長はるこ先生、こんなところでご登場頂き大変恐縮ですが)が国際的にご活躍されている事に便乗し、インド、韓国ソウル、アルゼンチンのブエノスアイレスへ連れて行って頂いた。 (と言うよりも、私が勝手に“金魚のウンチ”のごとく、はるこ先生の国際賞授賞式やアートフェア開催に便乗し御邪魔したと言う方が正解だが…)
はるこ先生、お陰様で海外にて実に豊富な経験を積ませて頂いた事に、改めてこの場にて御礼申し上げます。

そして、いよいよ今回のイタリア旅行だ。
名目は娘の大学卒業旅行であるものの、その実は私自身が一人で計画を練り仲介旅行会社と交渉しつつ、主体的な個人旅行として成就した初めての旅行だったと言えよう。
還暦を迎えている私にとって、今回の旅行実行程大変だった事は今までに経験していない。
とにかく計画段階から旅行実行に漕ぎつけるまで、その前準備を完璧にやりこなす作業自体に弱音を吐きそうにもなった。 それが災いして出発前夜に歯痛による歯茎の腫れにともなう微熱が出てしまう始末だ。 夜中中体温を測定し元医学関係者としては微熱段階で経過している事に安堵し、解熱鎮痛剤のお世話になりつつ当然ながら翌朝はイタリア旅行出発実行だ!
別に何てことはない。
成田空港行のリムジンバスに乗った時点から、我が心は既にイタリアに向けてウキウキ気分だ。 機内持ち込み鞄の中にひそめていた追加の解熱鎮痛剤などに頼る必要も何もなく、娘と共に元気にローマ空港へ到着と相成ったものだ。
ここ2週間、全26編に渡って公開させて頂いた原左都子による「イタリア旅行記」だが、それ程に私にとってインパクトがあった今回のイタリア旅行だった。
何と言っても自分自身の力ですべての旅程をまっとう出来たのが、実にうれしい。
今回のイタリア旅行で、私はイタリア(特にフィレンチェ)に“将来住んでもいい”とまでの感想を抱けた事が一番の収穫でもある。
その実行には、数々の障壁を乗り越えねばならないのであろう。
が、実際問題、過去に於いて各国を訪問している私が、この種の感覚に至れたのは今回のイタリア旅行が初めての事だ。
もちろん、言葉の問題は大きい。
ただ自分自身が努力を重ねれば、単身での海外生活も叶う!との実感を得る事が出来た今回の旅行に感謝感激である。
それにしても、旅行中にお世話になったローマ・ピサ・フィレンチェの皆様、ありがとうございました。
留守中家で一人で頑張った亭主や、日頃私に100%依存している高齢の義母と実母の心中はさぞや心細かったであろう。 快く私をイタリアへ行かせてくれた身内3人にも、御礼を言っておこう。
それからそれから、今回の旅行の資金源となった公的年金制度にも御礼を言うべきだろう。 厚生年金を60歳から受給出来るのは昭和30年生まれの私の年代が最後だ。 今後段階的に受給年齢が引き上げられていく。
そして何よりも、我が拙い 「原左都子 イタリア旅行記 全27編」 に2週間もの長きに渡りお付き合い下さいました、gooブログの皆様とFacebookのお友達の皆様、誠にありがとうございました!!


