我が実母ほど、自分が産んだ子の心配をしない人間はこの世に存在しないのではなかろうか??
と、郷里に帰省する都度痛感させられ、今後の母の介護に向け重い課題を突き付けられる気がする。
いえいえ正確に言えば、母は長女である姉(現在米国在住)の心配は常にしている。
これは昔からだ。 生来的要因か?性格に大いなる偏りがある姉に関しては、幼少の頃より現在に至るまで十分に手がかかった(かかっている)ようだ。 それ故母の視線は常に姉にある。
そんな母が昔幼き私に向かってよく言い放った言葉がある。 「○子(私の事)は放っておいても育つから助かる。」
その言葉通り、幼少の頃よりほとんど親の手がかからず放置されて育った私が、今に至っては母老後の格好の介護人ターゲットとなっている。
母は身勝手にも、姉には一切の老後の介護を期待していない。 何故ならば、姉はその生来的性格の歪み故に特に介護対象者等弱者補助等の分野では“一切使い物にならない人材”故である。(要するに自分の事にしか関心がない我が身息災人間である。) それに関する“同意”感覚は母と私間にある。
ただ母は、姉に老後を依存しない理由を表向き「長女は米国在住故に滅多には帰国出来ない」と近隣や親戚筋に吹聴しているのだ。
これが私には許し難い。 私としては、正直に「長女は使い物にならないから次女に頼っている」と宣言して欲しいものだ。
実際問題、地球規模で世界が国際化を遂げている現在、東京から我が過疎地郷里へ行くのも、米国西海岸都市から行くのも、時間的・感覚的に母が言う程に大差はない時代だ。 にもかかわらず、一応の母のプライド及び長女を慮る心情で、長女の弁護に当たっている始末だ。 しかも周囲の過疎地郷里の人々がそれを鵜呑みにしている様子であるのも、私にとっては不可思議なのだが…
まあそれにしても、姉である長女自身が「日本の地を踏むつもりは金輪際無い!」と母相手に高らかに宣言し、それを母が認めている(と言うよりも実際母は「あんな奴が帰国したら鬱陶しい」と考えている。)のだから、自ずと次女の私が母の介護を担当するはめとなるのだが…
それにしても実母の次女である私に対する現在に至って尚の傍若無人ぶりは、おそらく読者の皆様の想像範囲を超えている。
おそらく、母としては家族内で一番“扱い易い”存在の私に精一杯甘えたいのであろう。(と言うのも、突然死にて60代でこの世を去った父にも妻として手こずった故だ。 我が考察に於いても父と姉のDNAがマイナス面でピタリと一致している。) その両人に耐え抜く人生を歩んだ後、自分にとって一番扱い易い次女の私が(東京在住と言えども)比較的手元に残ってくれ、母としてはこれぞラッキーなのだろう。
そんな実母が抱える心情を理解しつつも、高齢化と共に更に老いゆく母の我儘ぶりを帰省の都度実感させられる。
何とももの悲しいのは、次女である私が地元大学卒業時点で“親と郷里を捨てて上京した事実”を高齢化した母が“自分に都合よく”解釈・認識している事実だ。
今回帰省時にもその話題が出た。
私としては、母も含め総合判断での実家が抱えている瑕疵・困難を振り切るために上京したにもかかわらず、年老いた母としては自分だけは善人と評価されたい意向の様子だ。 (この感覚が高齢化と共に増強していくのが子供にとっては実に厄介で対応困難なのだが。)
そうじゃないだろ! 母親の貴方こそが娘である当時の私の心情を真っ先に察することが出来たならば、もしかしたら私は上京を中止したかもしれない事を伝えても、既に聞く耳を持たず虚しいばかりだ…。
今回の郷里帰省の第一目的とは、実母に対する「有料介護付きケアマンション」への入居を勧めることにあった。
とにかく郷里にて我儘・愚痴言いたい放題の実母である。
その現状に関しては、親戚筋からも苦情を含め情報を得ている。
周囲の皆さんが寛大に対応して下さる事を利用して、どういう訳か我が母は「自分(及び娘達)こそがこの世で一番優秀だ!」と恥知らずに吹聴している始末だ。
狭い世間の過疎地にてそんな醜態をあからさまに晒したならば、当然寂しい人生を送るはめとなろう事など私にはずっと以前よりお見通しだ。
が、母はそれを認めない。「周囲こそが馬鹿だ!」と私に訴える程に醜くも老化の一途を辿ってしまっている…。


ケアマンション入居に関しては、次女である私が暮らす東京都内の施設入居を望む母だが、一体全体、これ程までに老化が進んでしまい周囲に醜態を晒す事しか知らない実母を、快く受け入れてくれる施設が東京都内にあるのかどうか??
そんな実母を反面教師として、郷里へ帰省する都度、こんな風には年老いたくない、自らの努力・精進で心身共に健全であり続けたいと我が老い先を展望する私だ。
と、郷里に帰省する都度痛感させられ、今後の母の介護に向け重い課題を突き付けられる気がする。
いえいえ正確に言えば、母は長女である姉(現在米国在住)の心配は常にしている。
これは昔からだ。 生来的要因か?性格に大いなる偏りがある姉に関しては、幼少の頃より現在に至るまで十分に手がかかった(かかっている)ようだ。 それ故母の視線は常に姉にある。
そんな母が昔幼き私に向かってよく言い放った言葉がある。 「○子(私の事)は放っておいても育つから助かる。」

その言葉通り、幼少の頃よりほとんど親の手がかからず放置されて育った私が、今に至っては母老後の格好の介護人ターゲットとなっている。

母は身勝手にも、姉には一切の老後の介護を期待していない。 何故ならば、姉はその生来的性格の歪み故に特に介護対象者等弱者補助等の分野では“一切使い物にならない人材”故である。(要するに自分の事にしか関心がない我が身息災人間である。) それに関する“同意”感覚は母と私間にある。
ただ母は、姉に老後を依存しない理由を表向き「長女は米国在住故に滅多には帰国出来ない」と近隣や親戚筋に吹聴しているのだ。
これが私には許し難い。 私としては、正直に「長女は使い物にならないから次女に頼っている」と宣言して欲しいものだ。

実際問題、地球規模で世界が国際化を遂げている現在、東京から我が過疎地郷里へ行くのも、米国西海岸都市から行くのも、時間的・感覚的に母が言う程に大差はない時代だ。 にもかかわらず、一応の母のプライド及び長女を慮る心情で、長女の弁護に当たっている始末だ。 しかも周囲の過疎地郷里の人々がそれを鵜呑みにしている様子であるのも、私にとっては不可思議なのだが…
まあそれにしても、姉である長女自身が「日本の地を踏むつもりは金輪際無い!」と母相手に高らかに宣言し、それを母が認めている(と言うよりも実際母は「あんな奴が帰国したら鬱陶しい」と考えている。)のだから、自ずと次女の私が母の介護を担当するはめとなるのだが…
それにしても実母の次女である私に対する現在に至って尚の傍若無人ぶりは、おそらく読者の皆様の想像範囲を超えている。
おそらく、母としては家族内で一番“扱い易い”存在の私に精一杯甘えたいのであろう。(と言うのも、突然死にて60代でこの世を去った父にも妻として手こずった故だ。 我が考察に於いても父と姉のDNAがマイナス面でピタリと一致している。) その両人に耐え抜く人生を歩んだ後、自分にとって一番扱い易い次女の私が(東京在住と言えども)比較的手元に残ってくれ、母としてはこれぞラッキーなのだろう。
そんな実母が抱える心情を理解しつつも、高齢化と共に更に老いゆく母の我儘ぶりを帰省の都度実感させられる。
何とももの悲しいのは、次女である私が地元大学卒業時点で“親と郷里を捨てて上京した事実”を高齢化した母が“自分に都合よく”解釈・認識している事実だ。
今回帰省時にもその話題が出た。
私としては、母も含め総合判断での実家が抱えている瑕疵・困難を振り切るために上京したにもかかわらず、年老いた母としては自分だけは善人と評価されたい意向の様子だ。 (この感覚が高齢化と共に増強していくのが子供にとっては実に厄介で対応困難なのだが。)
そうじゃないだろ! 母親の貴方こそが娘である当時の私の心情を真っ先に察することが出来たならば、もしかしたら私は上京を中止したかもしれない事を伝えても、既に聞く耳を持たず虚しいばかりだ…。
今回の郷里帰省の第一目的とは、実母に対する「有料介護付きケアマンション」への入居を勧めることにあった。
とにかく郷里にて我儘・愚痴言いたい放題の実母である。
その現状に関しては、親戚筋からも苦情を含め情報を得ている。
周囲の皆さんが寛大に対応して下さる事を利用して、どういう訳か我が母は「自分(及び娘達)こそがこの世で一番優秀だ!」と恥知らずに吹聴している始末だ。

狭い世間の過疎地にてそんな醜態をあからさまに晒したならば、当然寂しい人生を送るはめとなろう事など私にはずっと以前よりお見通しだ。
が、母はそれを認めない。「周囲こそが馬鹿だ!」と私に訴える程に醜くも老化の一途を辿ってしまっている…。



ケアマンション入居に関しては、次女である私が暮らす東京都内の施設入居を望む母だが、一体全体、これ程までに老化が進んでしまい周囲に醜態を晒す事しか知らない実母を、快く受け入れてくれる施設が東京都内にあるのかどうか??

そんな実母を反面教師として、郷里へ帰省する都度、こんな風には年老いたくない、自らの努力・精進で心身共に健全であり続けたいと我が老い先を展望する私だ。