昨日の我がエッセイトップ50内の2位に、冒頭のエッセイが位置していた。
そう言えば、教員経験者である原左都子が、過去にその手のエッセイを綴り公開した記憶は大いにある。
今となってはそれ程の記憶なのだが。
読み返すと当時の我が「日教組」に対する反発心がムラムラと我が脳裏に蘇る!!😡 😨
以下に、当該エッセイを再々掲載させていただくこととしよう。
2009.08.05 公開の 「ホテルは契約締結を“拒否”するべきだった」と題する、当時発生した「日教組」関連事件に関する我がバックナンバーとそれに頂戴いたコメント群を、以下に再掲載させていただこう。
この事件、私が一番解せないのは、当初プリンスホテル側は何故に日教組の教研集会の会場として契約締結をしてしまったのか、という点である。
ホテル業界の雄であるプリンスホテルと“日教組”との組み合わせは、一般人の私が考慮しても“ちぐはぐさ”が否めない。 何故に日教組は“プリンスホテル”で教研集会を開催する必然性があったのか、今なお首を傾げる。
プリンスホテル側も何もあえて危険を犯さずとて、他の宿泊客に及ぶであろう迷惑の回避を最優先して、当初より契約締結を断固として拒否し“我関せず”で済ませておけばこんな大騒動に巻き込まれずに済んだであろうし、巨大な損失を計上したり、日教組関係者や一部マスメディアからの非難の標的にならずに済んだであろうに。 天下の一流ホテルが、一旦締結した大規模契約を解約するのは相手が日教組でなくとて困難でもあろうに。
それとも契約当初より、教研集会の契約締結に関して日教組側あるいはその周辺組織から何らかの“圧力”でもあったのか???
プリンスホテルが日教組(日本教職員組合)の教研集会への会場使用を拒否した問題をめぐる訴訟で、東京地裁は7月28日、日教組側の請求をすべて認め、プリンスホテル側に巨額の賠償金の支払いと謝罪広告の新聞各紙への掲載を命じる判決を言い渡した。
08年2月に開催の日教組の教研集会の会場としてプリンスホテルが07年10月に契約締結後、同年11月にホテル側が「右翼の街宣などで周囲に迷惑がかかる」として解約を主張し使用を拒否した。 日教組側はホテル使用を認める仮処分を求めたところ、東京高裁は使用予定日の2日前にホテル側の抗告を棄却する決定をしたものの、ホテルは拒否を続けた。このため歴史的に初めて日教組の全体集会が中止される成り行きとなった。 今回の判決で東京高裁は、プリンスホテル側が決定に従わなかったことの違法性は著しいと厳しく非難し、「参加者が集会に参加することは法律上守られる権利だ」としたものである。
(以上、朝日新聞7月29日一面記事より要約引用)
この判決に対し、同日の朝日新聞社説においてもプリンスホテル側を非難する見解が展開されている。その社説の一部を抜粋要約して以下に紹介しよう。
右翼の宣伝活動などがあれば宿泊客や周辺の迷惑になるとして契約を一方的に破棄したプリンスホテルに対して、裁判所はきちんと警備すれば大丈夫だという日教組の訴えを認めて会場を使用させるよう命令したが、ホテル側はこれも拒否した。右翼の街宣活動は教研集会のたびに行われてきた。集会を妨害するだけでなく、会場を貸す側にも圧力をかけ開催できなくさせよう意図があったと考えるのが自然であり、それにホテルが屈してしまった。 ホテルが迷惑がる気持ちも分からないではない。ホテル周辺の中学校長からは、おかげで入試が円滑にできたと感謝する手紙がホテルに寄せられたという。 ただ、圧力に屈して自由が引っ込むようなことが続くと、今の日本は自由に集い自由にものを言える社会なのか疑問に思えてくる。
再び私論を展開しよう。
やはり、プリンスホテルは“当初より”日教組集会の会場としての契約を締結するべきではなかった。
日教組集会に右翼の街宣車がつきものであることは既存の事実であるのに、何故にその種の迷惑行為を回避できない集会を開催する会場として、不特定多数の一般人が使用するホテルが選択されねばならないのか、どうしても私は不可解である。しかも今回の場合、世に名高いプリンスホテルである。
日教組の集会自体は自由に行えばよいのだが、如何なる集会であっても周辺社会に迷惑のかからない配慮は不可欠であろう。 何も世に名高いホテルで全国集会を行わずとも、会場候補は他にもいくらでもあったはずだ。 少なくとも教研集会会場と日教組組合員との宿泊場所を別立てとして、組合員の宿泊場所を分散させる等の措置を取り、なるべく目立たぬような集会にすることで右翼街宣車の集結を最小限に抑え、周囲の迷惑を回避することは可能であろう。
今年の広島市での教研集会では、警察の取締りにより右翼街宣車の集結を小規模に抑えることが出来たとのことであるが、この警察の動員とて国の財政から賄われる、すなわち国民の血税等から支出されている事実を日教組組合員は認識できているのであろうか。
もちろん、如何なる集会であれ“朝日新聞社説が仰せの通り”自由に行われるべきであることは今の時代においては自明の理であり、皆が自由にものを言える社会であって欲しいことに関しては国民誰しも異論はないことであろう。
ただし、その集会を開く事により周辺社会に迷惑がかかるという事態は、その迷惑が自発的ではないとはいえ、主催団体は回避する手段を講じるべきであることに関しても常識の範囲内ではないのだろうか。
この国において日教組組合員のみが特権階級であるはずもない。
自分達が所属する集団が今現在、教育を取り巻く社会においてどれ程の貢献を成し得ているのかにつき客観的に分析判断した上で、集団としての良識的行動をとって欲しいものである。
どうか、子どもの未来を担う教育を担当している教員の一部が組織する日教組集会が、今後はなるべく目立たぬ場所で開催されることにより、周辺社会への迷惑や国家財政の浪費を最小限に留めるべく配慮された上でなされることを、一庶民としては希望したいものである。
Comments
一つ質問があります (r2d2) 2009-08-06 08:16:55 「なるべく目立たぬ場所」とは例えばどのような場所なのでしょうか。
おそらく右翼活動家たちは日本のどこで行われてもその場に行くと思われます。
なるべく周囲に迷惑のかからない場所として例えばどこがいいのでしょうか。
一、二、具体的に例を挙げて下さい。
r2d2さん、申し訳ございませんがご自身でご調査下さいますように。 (原左都子)2009-08-06 08:30:07
私は存じませんし、私にそれを調査する義務もないと心得ます。主催者側に良識があるのならば、ご自身で調査の上、周辺社会への迷惑を回避するべくご努力下さいますように。
はっきりしましたよね (量さん)2009-08-06 14:12:31 一部の先生方の加入している団体の目指すところがはっきりしましたね。
天下のホテルで開催して、宣伝「右翼」(かぎかっこが重要)に来てもらって大騒ぎを起こすもよし、天下のホテルに拒否されて訴訟を起こして「被害者」の立場で注目されるもよし。
どっちでも良かったんでしょう。
時間だってあったであろうのに、その貴重な時間を彼らは迷惑をかけないような集会方法の模索には使わずに訴訟に使ったのですから!
目立たないようにしようという発想なんてない人々であることは明白です。
こことかあそことかあっちでやれば目立たないよ、と代案を出すことに意味など見出せません。
意味があるとすれば以下の二つの点ではないでしょうか。
一つは、我々の社会はこういう人々に、先生と言う名誉ある地位を合法的に与えていて、当面それでなんとかやっていくしかないのだな、と腹をくくること。
そしてそれでなお子どもたちが良い人生を歩んで行く道を模索することだと思います。
ホテルは確かに迂闊でした。言いがかりをつけられてえらい目に逢いました。
しかしこれでもうまともなホテルはあの団体の予約は受け付けないでしょうね。
どのホテルでも今頃、企業としていろいろと対策を練っているはずです。
こうしていろいろと、相手にされなくなっていくんでしょうね。
先生方全体に対する信頼の喪失につながりかねないのに・・・・・でもあの団体には、同僚に対する思いやりなど全くないのでしょう。
恐ろしい団体です。
私も原様の導きで、目を覚ましていたいと思います。
ホテル側が甘かった (issei)2009-08-06 22:58:06
こんばんは、今回の騒動単にプリンスホテル側の甘さが目立ちます。国内の旅行業、ホテル業が冷え込んでいる状況で「契約担当者が功を焦り」契約してしまった、と言う事でしょう。
組合側から見れば、どちらに転んでも損はない訳でホテル側の勇み足は否めないと思います。
量さん、日教組は何故「右翼」を排除しないのでしょうかね。 (原左都子)
2009-08-07 08:54:47これ、本当に不可解なのです。
日教組は右翼を迷惑がる振りをしている割りには集会にはいつも右翼を従えて、大々的に警察を動員しては国庫財源を浪費し、周辺社会を巻き込んでその迷惑も顧みず、一体どのような建設的な会合を開いているのかと言えば、その報道がほとんどない現状です。
日教組はまずは、“自助努力”で右翼を排除することからスタートし直すべきです。なぜそれをしないのでしょう? なぜ右翼ととことん闘わないで自分達も被害者の振りをしおおしているのでしょうか?
プリンスホテルを叩き潰して大損失を負わせてまでも自団体の存在をアピールしている暇があれば、右翼対策を真っ先に練ることを考えましょうよ。
周辺社会へ迷惑をかけつつ会合を持つ事が、教育的でしょうか? 子どもの未来にとって何か役立つでしょうか?
日教組が会合を持つのはもちろん自由です。ですが、教職員の本業は学校で子どもを育てることです。日頃、子ども達に愛情を注いで下さっているのでしょうか?子どもの成長を本気で喜んで下さっているのでしょうか?
今回のプリンスホテル訴訟のいきさつをずっと観察してきた私も、量さんのおっしゃるように、日教組には“恐ろしさ”を感じてしまいます。
ただ、量さんがおっしゃるように、この“大騒動”で会場提供側は日教組集会を警戒するでしょうから、今後は危険回避のために安易な契約締結を避け、対策を練ることに目覚めるでしょう。
isseiさん、圧力団体がからんでいるという裏情報もあります。 (原左都子)
2009-08-07 09:08:19 プリンスホテルが何故に日教組と契約締結してしまったのかの背景には、日教組がらみの某圧力団体の存在がささやかれています。
不況によるホテル業界の経営不振という事情もあるのでしょうが、むしろ、そういったホテル経営上の圧力的裏事情の方が理由としては重かったのではないのでしょうか。
ですが如何なる裏事情があろうと、isseiさんのおっしゃるように、プリンスホテルは断固として契約締結を回避するべきでした。
近代社会において、“契約締結の自由”は保証されています。
周辺社会をも巻き込む迷惑や危険が予想される場合は、ホテル等公共性の高い施設はどうか勇気をもって契約締結を拒否し、危機管理を徹底してもらいたいものです。
「右翼」な人たち (量さん)2009-08-07 22:29:27 なんだか危険なお話になってる気もしますが・・・・
私なんてけっこう右がかった人間でして、カラオケで軍歌がなっちゃったりします。
ムード歌謡(前川清好きだし)や昔のJポップなんかと同じ扱いです。
だって、軍歌って実はほとんどの曲が長調の、明るくて威勢がよい親しみやすい旋律です。
現在もこの流れは、ロボットアニメや特撮主題歌として健在です。
ところで、何故か街宣「右翼」は、日本人であれば普通は考えつかないデザインの自動車で軍歌の中では少数派である短調の音楽をウルサくがなり立てておりますわ。
ウルサいことも許し難いけど、選曲のセンスのなさもうっとおしい。
もし本当に我が国の美点を広めたいのであれば、ありえないやりかたです。
私はああいう人たちを知らないので
・・・・・何故でしょうね、バリバリの右よりの私が接点がないなんて、それだけで変じゃないでしょうか・・・・
自分のこの目で何度も確認したことだけ書きます。
最近行ってないので現在は存じませんが、少なくとも7年前ぐらいまで、ああいうデザインの車を複数駐車してある場所が某所にありました。
その駐車場の背後には銀色の小さい玉を用いる賭事屋さんがあり、道を挟んだはす向かいには朝と言う字が使われている、行政が関与しにくい金融機関があったことをよーーーく覚えております。
「従える」と言う表現は、どうやらぴったしかんかん(死語)ではないでしょうかね!
量さん、私もついでに… (原左都子)2009-08-08 09:02:39
私など、「左都子」の“左”が表現している通り、どちらかと言うと左がかった人間なのかもしれません。 それにしても、そもそも私は“つるん”だり、“結託”することを嫌う人種のためか、「党」や「集団」「組合」という存在を好みません。 思想が個別化して複雑多様化している今の時代に、人間が結託している風景自体に異様さを感じてしまいます。
人間同志が“つるむ”ことにより危険性が加速度的に増強するように感じますが、とにもかくにも周辺社会への迷惑行為は回避願いたいものです。
量さん、そうですか。あの街宣車がそんな場所に…。
訳の分からん時代なのですね、今は。
(以上、2009年8月公開の我がバックナンバーを再掲載したもの。)
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幸か不幸か、今現在は「日教組」なる組織の活動の程を耳にすることもない。 だからと言って、教育現場が安泰かといえばそうでもない気もする。
とにかく、時代が怒涛の如く変遷してしまった今現在だ。
教育現場が置かれている現実とは、もしかしたら、その種の組織が活発に活動していた頃より後退しているのやもしれない…
(以上、本エッセイ集バックナンバーを再々掲載させていただいたもの。)
上記引用文中の、コメント欄「(r2d2)」とやらのコメントを読み返すと。
2024.09現在の今更ながら、我が体内からとてつもない程の「腹立たしさ」が蘇る!!
当時の私は未だ若かりし時代だったにもかかわらず、冷静な返答をしたものだと振り返るが…
話題を変えて。
今現在は「日教組」なる言葉さえも死語化している現実に、大いに安堵させられる。
実際問題、私が30代後半期に高校教諭になった時点で、既に「日教組」なる団体はすっかりと姿を消していた。
今後、その種の団体がこの世に再燃することは無いと信じたいが。
どうなのだろう??
それに代わる教育業界に於ける「圧力団体」が再来しているのやらいないのやら。
それすら、認識していない我が身であることをお詫びしておこう。